意外と「モヤモヤ」、でも失望じゃない!高校教諭がハーバード教育大学院に「AI×教育」で留学して得た"切実な気づき"

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そしてこうも考えさせられた。もし本当にこれが事実であれば、AIの登場は私たちを学びの「そもそも」に立ち返らせる最大の好機ではないか。そもそも、

「勉強は何のためにあるのか」

「成果物ではなく、何を学びとして評価すべきなのか」

しばしばAIの精度の向上とともに、学びの不要論を聞くことも少なくない。しかしAIは学びを不要にするものではなく、学びの在り方を再定義させる存在と捉えた方が正確なのかもしれない。

AI時代は、学びの成果よりもプロセスが重要に

こうした思いを抱きながら、先日マサチューセッツ工科大学(MIT)で開催された「AI×Education」をテーマとしたカンファレンスに参加した(ハーバードは、MITとの相互の講義履修が許可されていることから接点も多い)。

MITと言えばテクノロジーの最先端、きっとここなら明快な答えが得られるのではないか、期待に胸を膨らませて参加した。

しかし、そこで見えてきたのは、MITの教授陣でさえ必死に試行錯誤を続けているという現実だった。最先端の大学でさえ模索しているという事実は、少なくとも現時点では教育におけるAIの活用に、唯一の正解が存在しないことを示唆している。

そして多くの研究者に共通する見解は、今こそ学びの成果以上にプロセスが大事になっているのだということだった。

そのためには「人はどう学ぶのか」という学習理論や、教授法の重要性がこれまで以上に高まるという。先の教授の指摘とも重なる内容である。

もう1つ、興味深い話があった。驚いたことにMITでもAIを活用したがらない教員は少なくないという。大学はAI活用を強制するのではなく、草の根的な学びのコミュニティを作り、成功事例も失敗事例も共有しながら知見を蓄積しつつ活用を後押ししているのだという。

その話を聞きながら、私はあるワークショップのことを思い出していた。日本のEdTech企業の協力を得て、留学以来約2カ月に一度日本の先生方にオンライン勉強会を開催している。

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