意外と「モヤモヤ」、でも失望じゃない!高校教諭がハーバード教育大学院に「AI×教育」で留学して得た"切実な気づき"
「既存社員を再教育するより、AIに委ねるかAIに精通した人材を雇う方がコストメリットが高い。会社からすれば合理的な判断だ」
彼はあっさりそう言い放った。苦境に立たされているのは、彼のようなベテランだけではない。大学卒業後、半年以上も就職先が見つからないという若者にも出会った。
もちろんAIだけがすべての原因ではないし、私が出会った人々の経験を過度に一般化することはできない。しかし、AIによる雇用の変化が現実として進行していることを肌で感じる経験だった。
このように渡米以来、さまざまな場面でAIの台頭について考えさせられる機会があった。しかし、当初の目的であった「AIの効果的な活用法」という問いには、明確な答えを見いだせずにいた。
「提出物を出す=学習」と思わせる教育文化こそが問題
むしろ、急速に変化する雇用環境や社会の現実を目の当たりにする中で、「どう活用するか」を議論する段階はすでに過ぎているのではないか――そもそもこの問い自体が時代錯誤なのではないか、と疑うことも多々あった。
限られた留学期間の中で、残り時間が減っていく焦りとは対照的に、答えにたどり着けないもどかしさだけが日々大きくなっていた。そんな中、耳にしたのが先に触れた教授の一言だった。
教育現場でAIが問題視されるとき、多くの場合は不正使用をどう防ぐかという議論になる。しかしこの教授は、そもそも生徒に「提出物を出すこと=学習」と思わせてきた教育文化こそが問題なのだと指摘する。
AIは教育の歪みを生み出したのではなく、それを可視化した存在にすぎないというのだ。AIを脅威と捉えるのではなく、既存の教育の弱点を映し出す鏡として捉える。
この視点は私にとって示唆に富むものであり、自戒の念を込めて、今後も大切にしたい視点だ。




















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