3.11で内定を捨て気仙沼へ 「復興まちづくり→探究学習の支援」手がけるNPO代表の物語《気仙沼から能登へつなぐバトン》
コミュニティ誌を発行しようと思ったのは、震災から半年ほど経ったころのこと。がれきの撤去など物理的な片付けがある程度進んだ時点で、復興に向けて動いていた人々の表情が曇り始めたのがきっかけでした。
失敗と挫折を救った一言
「たくさんの方々が支援に訪れてくださり、『がんばってね』と声をかけてくれる。でも、気仙沼に住んでいる人々はもうすでに、限界までがんばっていたんですね。
ここから先が見えない、もうこれ以上『がんばって』と言われたくない……と、僕に漏らすことがありました。そこで、外からの応援の声ではなく気仙沼の住民の声を、思いを同じくして暮らす人々に届けようと考え、コミュニティ誌を立ち上げたんです」
ただ、大学を卒業すると同時に気仙沼に来た加藤さんに、メディア運営の経験はありません。不特定多数に情報を伝達、媒介する際の配慮が足らず、「支えたいと思った人々を傷つける結果になったこともありました」と加藤さんは振り返ります。
「僕はいったい何がやりたいんだ、と心が折れて東京都内に戻って就職しようかなと弱音が出ました。そのとき、気仙沼で共に過ごしてきた方々に、『ここが正念場だ』と言われた。
その一言で、もう僕はボランティアとして支援する人と支援される人の関係じゃないんだなと感じたんです。気仙沼・唐桑の方々との関係が、僕をこの地に踏みとどまらせてくれました」
気仙沼でいちばんやりたいことは何かを考えていたある日、加藤さんは「僕がやりたいのは、地元の中高生が成長していく姿を見続けることだ!」と気づきます。それは、普段は観光客向けにやっている漁師体験を、地元の中高生向けの体験学習プログラムにアレンジしたときのこと。
「参加した中高生が楽しんでいるのはもちろんのこと、地元の漁師の方々も最高の笑顔だったんです。その様子を見ていた僕自身もわくわくしました。
漁師体験をはじめ、地元企業や行政、学校が連携して地元の仕事を実践的に学べる機会は、将来の職業を決めるためではなく、子どもたちの選択肢を広げるためのものだと僕は思います。
子どもたちに答えを教えるのではなく、問いを持つ力を育てる探究的な学びを応援していきたい。そこで17年ごろから、探究学習支援に力を入れるようになりました」




















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