イラン・ハメネイ師死去後の最高指導者は誰か、ハメネイ師の息子が最有力だがハメネイ師は世襲を嫌っていた

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イランの法学者統治の最高指導者は、シーア派の一派である十二イマーム派の「お隠れ」12代目イマームの代理人であると信じられている。

イマームの代理人にはお隠れイマームが見えるのか、会えるのか、声が聞こえるのかはわからないが、意思疎通はできているとされ、お隠れイマームの代理人が出している指示はすべてお隠れイマームご本人が出した指示と信じて疑わず、従っている。

赤い旗が掲げられたシーア派の聖地

最高指導者はテヘラン南部、シーア派の聖地ゴムにあるジャムカラーン・モスクをよく訪れる。このモスクはお隠れ中の12代イマームがお姿を現し、「私のためこの場所にモスクを建てよ」と命じられ建てられた。

最高指導者がここに独り籠るとき、12代イマームと会っていると伝えられるが、最高指導者本人は問われても無言を貫いていて、肯定も否定もせず、あやふやなままになっている。

この特別なモスクのドームの屋根には、悲しみの時には黒い旗が、怒りの時には赤い旗が掲げられる。2020年1月3日、革命防衛隊クッズ隊のガーセム・ソレイマニ将軍(1957~2020年)がアメリカ軍の無人攻撃機による攻撃を受けてイラクで亡くなったときも、そして今回ハメネイ師が殺害されたときも、ジャムカラーン・モスクには赤い仇討の旗が掲げられた。この赤い旗はどれだけの時間をかけても、必ず仇を取るという誓いの旗で、掲げられるたびにニュースになり報じられる。

シーア派は現在も「アーシュラー」という行事を行い、イラク・カルバラの戦い(西暦680年)で殺されたフセインの死を1300年以上も毎年2カ月近く喪に服して追悼している。この戦いは、シーア派が形成されるきっかけとなった戦いだ。

命日のたびに悲しみを新たにしそれが増幅していく宗派なので、ハメネイ師殺害が遺恨となってしまったことは想像にかたくない。シーア派は命日に加えて、日本の四十九日のように、四十日(アルバイーン)の行事がある。26年2月28日の40日後の4月9日と、今後毎年訪れるハメネイ師の命日は、何が起きるか要注意の日になるだろう。

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