お目当ては「店そのもの」 工場の片隅の弁当店に全国から人が集まる"不思議" 20年前に姿を消した「サラヤ」の面影を求めて
午前9時半。ブンセンの社用車が並ぶ駐車場の一角で、小さな店のシャッターが上がる。店を切り盛りする田中さんのもとへ、昼休みになると社員が買いにくる。社員以外にもタクシーや営業車が一時停車し、立ち寄っていく。
「お!まいど!今日はどれにする?」「きつねうどんとおにぎり……。今日は1個で我慢しとく」「はいはい、前旅行行くって行ってたやん。どないやった?」「よう覚えてるなあ」。田中さんと客の間で会話がよく弾む。コロナ禍の名残のビニールシートを手際よくさっと上げて、カップ麺にお湯を注いで渡していた。
「天職だった」サラヤ一筋の田中さん
いかにも“関西のおばちゃん”といった田中さんがブンセンの弁当店で働き始めたのは、1982年の23歳のとき。子どもが生まれた後、朝だけ働ける仕事を探していた。
ある日、ブンセンが運営する、6時半から9時までの販売員募集のサラヤのチラシを見つけて応募し、採用された。当時はコンビニがなく、競合店は11時からの営業で、田中さんにとっては他にはない条件の仕事だった。
「当時、6時半から開いている弁当店は珍しく、2月は大勢のスキー客が買っていきました。のりむすびがおいしくてね、買って食べたらまた食べたくなる。とにかく売れる。不思議なおにぎりでした。小さな店でお客さんと話すのが本当に楽しかった」
時は流れて1999年、ブンセンがサラヤをすべて閉鎖したのを機に、17年間働いた田中さんは退職を決意する。
6年間は他の仕事に従事したものの、「サラヤ店員が天職だった、他の仕事は考えられない」と思いを募らせていた田中さん。ある日、風の噂で、ブンセン工場の一角にかつて働いていたサラヤがあると聞きつけた。
偵察がてら何度も通った。そこでは高齢女性がレギュラーで働いており「店員の空きはないですか」と聞くも、「ないです」と即答された。それでも田中さんは諦めきれず、その後幾度も顔を見せていたのだという。
田中さんの熱意が通じて、その高齢女性が退職するとき、ブンセンに伝えてくれた。すると、ブンセンから田中さんに直接連絡が入る。勤務は毎日ではなく週3、それでもいいのなら、と。
「私はここで働けることが幸せなんです。他じゃダメなんです」





















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