震災から15年「東北の鉄道」は復興を遂げたのか 石巻周辺を撮り続けた写真家が見た「真実の姿」

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2026年は東日本大震災から15年になる。今、私は宮城県石巻市に暮らしているが、あの日以来、私は「復興」という言葉を使うことが正しいことなのかと常に迷い続け、簡単に用いることを避けている。

家が建ち、お店がオープンして不便なく暮らせる環境が整うことが復興なのだろうか。復興を語るときに決して忘れてはならないのは、人の心である。どんなにインフラが整ったとしても、人の心が取り残されてしまっていては、復興とはいえない。東日本大震災から15年の春、宮城県の石巻・女川エリアの現在を見ながら、地域と鉄道について考えることができればと思う。

養殖が盛んに行われている万石浦(まんごくうら)をゆく石巻線。万石浦は種牡蠣の養殖が盛んで世界に輸出されており、世界中の牡蠣の8割はここ万石浦の海にルーツがあるとも言われている(筆者撮影)

萬画の国へ向かう列車

石巻を語るうえで外すことができないのが「萬画(まんが)」である。故・石ノ森章太郎先生は現在の登米(とめ)市に生まれ、自転車で3時間かけて石巻まで映画を見にきていた。「漫画は万物を表現することができる無限の可能性を秘めたメディア」だとして「萬画」と表現した。そんな石ノ森氏に対して石巻市がまちづくりの協力を要請し「マンガランド構想」が生まれた。

石ノ森氏が少年時代に通っていた映画館があった場所は川の中瀬にあった。それが現在の石ノ森萬画館がある場所である。その中瀬がニューヨークのマンハッタン島に似ていることから「マンガッタン」というワードが誕生しました。その言葉が、仙石線の「マンガッタンライナー」につながっていく。

数えきれない旅人の思い出と、沿線に暮らす人々の心に彩りを与え続けてくれたマンガッタンライナー。そのカラフルな車体は遠くからでも視認でき、街の象徴となる存在だった(筆者撮影)
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