PhotoGallery

震災から15年「東北の鉄道」は復興を遂げたのか 石巻周辺を撮り続けた写真家が見た「真実の姿」

仙石線をゆく205系。東日本大震災前後を走り続けてきた(筆者撮影)
養殖が盛んに行われている万石浦(まんごくうら)をゆく石巻線。万石浦は種牡蠣の養殖が盛んで世界に輸出されており、世界中の牡蠣の8割はここ万石浦の海にルーツがあるとも言われている(筆者撮影)
数えきれない旅人の思い出と、沿線に暮らす人々の心に彩りを与え続けてくれたマンガッタンライナー。そのカラフルな車体は遠くからでも視認でき、街の象徴となる存在だった(筆者撮影)
2025年12月7日、マンガッタンライナーIIラストランには大勢の方が詰めかけた。鉄道イベントというよりも石巻が大好きなみなさんが集う、街のお祭りのような雰囲気だった(筆者撮影)
デビューしたてのE131系と、引退間近の205系マンガッタンライナーIIが離合する。この組み合わせは後にも先にも1週間限りの貴重な光景となった(筆者撮影)
かつての線路だった遊歩道から、内陸移設された高架をゆくM16編成を捉えた1枚。この車両は地震発生直後、私の撮影している位置付近に止まり、津波から逃れることができた奇跡の車両(筆者撮影)
M16編成を撮影した直後、かつての線路だった道を高校生が元気に「こんにちは!」と言って走り去っていった(筆者撮影)
遊歩道には、あの日の出来事を伝える看板が立っている(筆者撮影)
看板右上にある写真と同じ場所であることがわかる(筆者撮影)
かつての線路だったルートは野蒜駅手前から陸前大塚駅付近まで遊歩道として整備されている(筆者撮影)
目の前には茶色い土のみが広がる、震災後の女川町(筆者撮影)
2年後には新しい駅が建ち、再び人が戻ってきた(筆者撮影)
この写真を撮影した場所はいま、松の木が高く伸び、撮影することができなくなった。それは写真家にとっては悲しい出来事だが、女川の歩みを写し続けてきた私にとっては命が成長することが、とてもうれしい気持ちになった(筆者撮影)
駅から海へと続く道は、隙間のないほど大勢の方々の姿があった。すべてを失い、かつては土の茶色しかなかった場所に再びレールが伸び、誰もが来られる場所になった(筆者撮影)
万石浦をゆく、だてSATONO号。女川駅到着前、車窓には輝く海が広が離る。大きな窓のSATONO号からの眺めは一段と格別である(筆者撮影)
鉄道というハードと、関わる人というソフト。その両方の歯車で、女川の街は輝きを増し続けている(筆者撮影)
女川駅で遊ぶこどもたち。駅であり街の中心地となっている女川駅は、人・モノ・文化が重なる場所だ(筆者撮影)
日本の鉄道は「あって当たり前」の存在時間通りにやってくる日本の鉄道の正確さは世界一である。1分の遅…