空前の「ブーニン現象」、ショパンコンクール優勝後の熱狂を本人はどう受け止めていたのか/スタニスラフ・ブーニン氏インタビュー(後編)

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――華やかな世界で活躍する一方、16歳からずっと家族全員をブーニンさんが養ってきたと。

ソ連にいた当時は、生き延びるための生活でした。母の収入は低かったので、息子の私を養うので精一杯、育てるので精一杯。何も持っていなくて、自分のものは全部後回しにして、そういう生活だったんです。

息子の立場からしても、そういう状況はもちろん見たくないですし、私が働けば収入が入ってくる。少し生活が楽になる。そこから私の仕事は始まったわけです。コンクール後も、生活をしていくために演奏をしました。そうした中で、生活レベルが少しずつ上がっていった。

気兼ねなくおしゃべりのできる大切な人たち

――ご家族はブーニンさんにとってどんな存在ですか。

私にとって家族というのは、いつでもいろいろなことについて気兼ねなくおしゃべりのできる人たちですね。自分の感情について気軽に言えたりだとか、質問をし合ったり、知的な交流をしたり、お互い何かを学んだり。そうした交流ができる、話ができる。それが家族です。

そして、必要な時には必ず傍にいてあげられること。私自身もいま、家族が必要としているとき一緒にいてあげられる存在になりました。

――映画の中では、ピアニストとしての復活、再生の道のりが描かれますが、そこにもご家族の支えが。

それは、間違いなくありました。

ピアニストの手。目元口元も手元も表情豊かなスタニスラフ・ブーニン氏(撮影:今井康一)

――これからの展望をお聞かせください。

再開した演奏活動の発展の過程で、次の段階というのは当然あります。けど、まあ喫緊のことであれば、今日の夜は何を食べようかな……ということですかね。

まだ今夜の献立について妻と相談していないので、それについてこれから密な会議をしたいと思います(笑)。

山本 舞衣 『週刊東洋経済』編集者

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やまもと まい / Mai Yamamoto

2008年早稲田大学商学部卒業、東洋経済新報社入社。データ編集、書籍編集、書店営業・プロモーション、育休を経て、2020年4月『週刊東洋経済』編集部に。「経済学者が読み解く現代社会のリアル」や書評の編集などを担当。

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