大学教員のトリセツ【応用編】講義はエンタメ重視で「陽キャ」がウケる? 企業とは違う"異文化の世間"と"学会のオキテ"

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現代の大学では「教員」という呼称が定着し、自称「面倒見のいい大学」では担任制を設けている。大学進学率の上昇に伴い、大学自体が高校化している現実を象徴する変化だ。近年、小中高の先生の退職が増えたのにもかかわらず応募者が減り、人手不足が話題になっているが、大学でもところによっては同じような現象が起こるかもしれない。

このような環境下にあっても、実務家教員だからといって研究が免除されるわけではない。学会発表や論文投稿、実務と学術をつなぐ形でのアウトプットが求められる。

もう1つの違和感は、業務における価値観の相違である。

コンサルタント出身者は基礎的な理論と実務を結びつけて説明する能力に長けており、講義者として適性が高い。シンクタンクや企業の経営企画部門出身者は、学術論文形式の文章に慣れているため、研究者の書く文章に違和感を覚えにくい。

一方で、メディア出身者は研究者とは異なる文章文化を持つ。メディア育ちの人間は、難しい内容でもできるだけわかりやすく表現しようとする。対して研究者は、精緻さを重視するため、専門用語や抽象概念、熟語を多用し、簡単な内容を難しく表現することが多い。

そのような研究者の指導を受けた社会人学生も、学位をもらうためにあえて難しい文章を書こうとする。文章として基本ができていない論文、読みにくい著書も見受けられる。もちろん、作家も顔負けの名文を書く経営学者も知っているので、一般化するのはつつしみたい。

大学という「異文化社会」

このほかにも、大学という「世間」にカルチャーショックを受ける。

まず、大学へ教員として転職した日にまず感じるのが「静けさ」だ。オープンフロアで時にはたわいない雑談をしながら仕事をしていた人にとっては、研究室に1人でいると牢獄に閉じ込められたような気分になってくる。

職場(大学内)での会話といえば、「大人」と話すよりも、20歳前後の若者(大学生)と話す機会のほうが多い。「若返っていい」と言う人もいるが、知的刺激という点からすると、大学内にいる限り、外部からインプットよりの学生へのアウトプットのほうが圧倒的に多くなる。筆者のように、企業のエグゼクティブと頻繁に対話していた人間にとっては、大きな環境の変化に感じられた。

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