ジャカルタで20年「東急の中古電車」輸出の舞台裏 全盛期はまるで「インドネシア版田園都市線」だった
――8000系・8500系の輸出は東急電鉄だけでなく、東急車両製造(現・総合車両製作所、J-TREC)や東急建設も巻き込んでのスキームになったそうですね。
太田:最初は商社を介してという話で進めていたが、先方が手を引かれた。当時グループだった東急車両は海外の仕事をすでにやっていたので知見があること、また東急建設はジャカルタに事業所を持っていたので、ボランティア的に協力を得るような形で進めていくことになった。
輸出手続きのさまざまな苦労
――自前で輸出の手続きや輸送業者の手配などをするのは苦労も大きかったのではないでしょうか。
門田:輸出するにあたって保証に関する契約や原産地証明など、いろいろな証明書を10ぐらい取った記憶がある。やはり大変な手続きで、こういうことがあるから商社の機能ってあるんだな、などと感じながら担当していた。インドネシア側からは、明日までにハンコをついて持ってきてほしい、みたいな要望もあり、そういった部分は東急建設の方がハンドリングしていた。
太田:東急建設は、本業と直接関係ない話だったがとても協力的だった。最終的にはジャカルタMRT(地下鉄)南北線の工事受注につながっているし、「オール東急」という感じで(車両輸出に)取り組んでいるように見えたところはあると思う。日本語のできる現地スタッフの存在も大きかった。当時、東急建設のインドネシア事務所のスタッフとして勤めていた方が日本語もインドネシア語も話せたので、KAIの人たちともしっかりコミュニケーションが取れたことが大きい。




















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