《異色のフィギュアスケーター》アリサ・リウ選手の金メダルに「日本人が感涙した」ワケ 「自国選手の勝利と同じくらい嬉しい!」の声、なぜ殺到?

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アリサ・リウの表現を語るうえで欠かせないのが、感情の「純度」の高さだ。内側から湧き上がった衝動が、一切のフィルターを通さずにそのまま表情や身体の動きとなって溢れ出す。

彼女がほかの多くのアスリートと一線を画すのは、「スケートが人生のすべて」という場所から、一度完全に降りた経験を持っている点だ。

アリサ・リウ
北京冬季オリンピックに出場した際の演技。この2カ月後に引退を表明した(写真:Justin Setterfield/Getty Images)

多くのトップアスリートは、幼少期から競技中心の生活を送り、常に「選手としての理想像」を追い求める。その過程で、周囲の期待に応えるための「公人としての顔」が作られていく。それはプロとしての規律だが、時に本音を隠した「演出された優等生」という印象を与えることもある。

だが、アリサは16歳で一度リンクを去り、大学生活や友人との時間の中で、「スケートのない自分」を確立させた。復帰後の彼女にとって、五輪は人生を賭けた悲願ではなく、自分の人生という物語を楽しむための「サイドクエスト(寄り道)」にすぎない。

日本人にとって、「鮮烈な解放感」として映った

「メダルよりも自分のストーリーを伝えたい。ミスをしても、悪い物語もやはり物語だし、それは美しいと思うから」

だからこそ、ショートプログラムを3位で終えた後のインタビューでそう答えた。彼女が語るこの言葉は、結果という「点」ではなく、生き様という「線」で自分を評価する姿勢を象徴している。

この圧倒的な「心の余裕」があるからこそ、得点が表示された瞬間も、会見で不意の質問を受けた時も、評価を気にするような打算が微塵も感じられないのだ。

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