「じゃない方芸人」「春日の隣の人」だったオードリー若林が、休養しなければならないほど"代替不可能"な人気芸人に登りつめた理由
最後に、多くの管理職が気にするのが「なめられないか」という問題だ。なめられるとは、相手がルールを外しても“こちらは何もできない”と見透かされる状態である。若林が軽く見られにくいのは、第一に「ちゃんと見ている」ことが伝わるからだ。
発言のズレや前提の抜けを正確に拾い、雑なごまかしが通らない。第二に、優しくても「戻す」線引きがあるからだ。人格否定はしないが、必要な場面では淡々と軌道修正する。
つまり、普段は柔らかいのに、逸脱すれば必ず修正が入る。この“観察”と“線引き”の組み合わせが、相手に「好き勝手はできない」という予測を持たせる。だから若林は、優しいのになめられない。
支持されるのは「自信満々ではない」「でも有能」な人
もちろん例外は、ある。他にも正解があるだろう。例えば粗品のように、とがりきっているのに大人気というパターンもある。政治面でも、強いリーダーが選挙で圧勝し、世間は明るい雰囲気がやや見え始めた。だが、リスクになる例もある。
かつて宮迫博之にインタビューをしたことがあるのだが、筆者が感じるに、テレビで見る何百倍も、そのしゃべりは「天才的」だった。つまり、彼は本当に実力があったのだ。
にもかかわらず、SNSなどでネガティブに書かれているのは、彼は若林と違い、MCをする際に、「主役感」があったからではないかと推測する。若林は「上に立たない“空気設定”で、信頼を作ってきた」と言える。
現代人は、自信がない。承認は欲しい。だがマウントは嫌いだ。そんな不安の時代に、“若林ズム”は静かにフィットしている。
もし今、あなたが「自分は“じゃない方”だ」と感じているなら、それは劣っている証拠ではない。目立たなくても、場を壊さず、摩擦を減らし、対話を回す人は、気づかれにくいだけで、実は組織の真ん中に立っている。
主役ではない。拍手も少ない。成果が誰のものかわからなくなることもある。それでも、あなたがいるからチームは前に進める。誰かが挑戦できる。失敗が次につながる。
若林がそうだったように、「じゃない方」は、遅れて評価される。でもそれは、価値が小さいからではない。最後まで必要とされ続けるタイプだからだ。だからもし今、報われないと感じているなら──それは、あなたが“主役じゃなくても場を成立させている”証拠かもしれない。
そしてたぶん、本当に代わりがきかないのは、いつだって、そういう人なのだ。
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