「ベルリンの壁」崩壊の1989年、高市早苗を政治家へと導いたのはワシントンでの"1本の電話"だった
世界的な民主化運動のうねりと、緊迫する日米間の経済摩擦を読み解くために、アメリカの心臓部を取材してほしい──創刊したばかりの国際情報誌『SAPIO』(小学館)編集部の依頼で、早坂氏と私がタッグを組むことになった。
ワシントンのホテルに滞在していた期間、私の部屋には頻繁に電話がかかってきた。英語は苦手だった早坂氏に代わり、現地における取材日程の調整を私が引き受けていたからである。
「私は日本で政治家になりたいのです」
ある日の朝、電話が鳴った。「ハロー」と短く出ると、受話器の向こうから、若い女性が話す関西なまりの日本語が聞こえてきた。
「突然恐れ入ります。カメラマンの山本皓一さんですか」
「そうですが、あなたは?」
「私は高市早苗と申します。今、ワシントンからお電話しています」
面識はなかったが、彼女の名前は知っていた。若手の政治コメンテーターで、たしか民放の深夜番組でキャスターを務めていたはずだった。
「私にどんなご用件ですか」
すると、彼女は単刀直入に切り出した。
「実は早坂先生にお会いしたいのです。今、こちらにお見えになっているとお聞きしまして、先生にお目にかかることはできないでしょうか……ぜひ、お願いしたいのです」
口調は丁寧だったが、押しの強さが印象的だった。たとえ私が却下したとしても「簡単には引き下がりませんからね」と言わんばかりのすごみが宿っている。
当時、日米構造協議の実務者レベル会合がワシントンで開催されており、ホワイトハウスの関係者は早坂氏の訪米を知っていた。おそらく、そのあたりから情報をキャッチしたのであろう。
「早坂さんに伝えて、可否をお知らせします。ところでこれはどういった趣旨のアポイントになりますか?」
すると、実に明快な答えが返ってきた。
「私は日本で政治家になりたいのです」




















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