「ベルリンの壁」崩壊の1989年、高市早苗を政治家へと導いたのはワシントンでの"1本の電話"だった

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彼女は松下政経塾に入塾後、米民主党のパトリシア・シュローダー議員のもとで約1年間、下働きをしながら実務を学んでいたということだった。

それがわかれば話は早い。私が早坂氏に用件を伝えると、彼は面会を快諾してくれた。政界要路に太いパイプを持っていた早坂氏のアドバイスは、当時の高市さんにとって大変価値のあるものだったに違いない。

「天の運」があった政治家・高市早苗

3年半後の1993年、彼女は2度目の挑戦となる国政選挙でトップ当選を果たし、念願だった政治家としてのキャリアをスタートさせた。その後の活躍は周知のとおりである。

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安倍政権時代の2013年、自民党政調会長を務めていた高市さんに、陳情を希望する石垣市の漁師を引き合わせたことがあった。その時、私は昔の話を繰り出した。

「覚えていますか。ワシントンで電話をいただきましたね」

およそ20年以上前のできごとになるはずだったが、彼女は当時のやり取りを鮮明に記憶していた。

「もちろんですよ。あの時は突然押しかけてごめんなさい。早坂さんには大変お世話になりました」

その後、高市さんは、陳情をどう処理したのかを説明する、丁寧な直筆の手紙を送ってくれた。その行動力と実直な人柄を見るたびに、私は異国で受けた若き日の「1本の電話」を思い出すのである。

かつて、角さん(田中角栄)は私によくこう言っていた。

「大臣なんてものは誰だってなれる。だが総理総裁は、なろうと思ってなれるものじゃない。天の運というものがある」

田中角栄流に言うならば、政治家・高市早苗には「天の運」があったことになる。思い描いた人生を体現した彼女の「その先」に何が待っているのか。今は亡き早坂氏になりかわり、高市首相の仕事を見届けておきたいと思っている。

文/山本皓一(報道写真家)

別冊宝島編集部
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