稲田:「普段あまり本を読んでいない学生がたまに読む本」の傾向も同じです。自分が抱えている課題に対して直接的なソリューションを与えてくれる、それが読む前から約束されていると察知できる本を彼らは読みます。
たとえばコミュニケーション術や自己啓発系の本ですね。読むことでどんな気持ちになるかわからない、味わったことのない感情が押し寄せるかもしれない、そうした類いの本はあまり手に取りません。
僕はこういうふうに本を読む人を「消費者」と呼び、「読者」とは区別して考えるべきだと思っていますが、問題なのは、出版業界がこれらを区別せず、とにかくどんな本でも読むという行為を「読書」として取り扱いがちなことです。この辺を整理・議論しないで「若者の読書離れ」などというのはあまりに乱暴ではないでしょうか。
ひとつ思うのは「鶏が先か、卵が先か」ということです。社会が「わかりみ」ベースのコンテンツしか供給しないから若者の受け取り能力が落ちたのか、あるいは手軽な共感を求める人が増えたから、「わかりみ」ベースのコンテンツが大量に作られるようになったのか……。
能動的であることを剥奪されている若者たち
金間:難しいところですね。ここで「若者の能動離れ」というテーマについて、稲田さんのご意見をお伺いしたいと思います。
テレビが誕生した当時、「日本人は一億総白痴化する」と言われていました。じゃんじゃん流れてくる映像を受け身で観るだけなので、モノを考えなくなると。
インターネットが登場した2000年頃はどうかというと、「受動一辺倒のオールドメディアから解放され、全人類は能動的に情報を発信するツールを手に入れた」と騒がれました。
ところが今どうなっているか。能動ツールを手に入れたはずの私たちは、受動一辺倒です。




















