金間:もちろんそれもあると思いますが、発信する側の問題だけでなく、受け取る側にも、一定量以上の感情の動きを受け取る能力がもうないからではないかと僕は考えています。
前半で議論した長文を読めなくなっていることにもつながりますが、そのあと抱く感情とどう向き合ったらいいのか、それに対する編集能力がない。仮に自分の意見を披露しても、受け取る側にそのキャパがなく、発した意見が宙に浮いてしまうことが最初からわかっている。だから「その先に正解がある意見」しか言えなくなっている。そんな感じがしています。
感情のやりとりは「めっちゃわかる」の一択
稲田:なるほど。受け取る側のキャパの話は、『本を読めなくなった人たち』に書いた「わかりみ」「おもしろみ」の整理と大いに関係することです。
「わかりみ」は「あなたの気持ち、よくわかる」「すごく共感する」とほぼ同義ですが、この場合の「わかる」とは、発信者の意図した結論や正解に無事に到達すること。その正解に到達したことで浸る愉悦が「わかりみ」です。
一方の「おもしろみ」は、「わかりみ」に比べて広く、深く、複雑で、手軽な理解や共感を寄せ付けません。与えられたテキストを、いったん自分の教養や感受性にじっくり照らし合わせるなどして、カロリーを使って思索していくことが求められます。
今の若者、というか現代人は「おもしろみ」を感じ取れなくなっているのかもしれません。それが金間先生のおっしゃるキャパ不足、編集能力の欠如ということだと思います。
金間:彼ら自身も「おもしろみ」に対するリアクションができないので、「わかる」と共感されるようなことしか話せないのだと思います。日常会話における彼らのリアクションは「めっちゃわかる」一択の印象です。




















