「親よりポトスか」植物好き幼子に父が抱いた畏敬。還暦前に親になったいとうせいこうさんが"ベビーカーからの目線"で知る季節
どういうことなのか。こっちはソファで腿の上に乗せたりしてあやしているつもりが、奴の視線はおおかたそのポトスに行く。そして機嫌をよくする。
親よりポトス、などということわざがあったろうか。ないだろう。
花の咲く朝顔などに目を奪われるならまだしも、興味の対象が観葉植物とは何事か。その上、ポトスのそばにはオリヅルランだってあるし、巨大なベンジャミン(小林克也さん宅から来た奴)が天井を押し上げるような状態だったりしているのだ。
つまり同じ観葉植物で十分に目を楽しませるものがあるにもかかわらず、幼子は斑入りのポトスの葉、しかも今年になって急に蔓が太くなり、あちこちに勢力を拡大し始めた水耕栽培の植物の様子にまさに“釘付け”なのであった。
親として寂しい気持ちになりつつも、そこは子供の欲望にしたがう他なく、「ポトスが好きなんだねー」とか「かわいいよねー、ポトス」などと持ち上げると、さらにどうしたことか子供が笑う。「ポトス」という名前まで好きらしいことに俺の嫉妬心は燃え盛った。
それである日、俺は赤ん坊の顔を自分の方へ向けさせ、「君がそんなにポトスばっかり見てても、ポトスが育つわけじゃないよ」と真実を厳粛に言い放ってやった。だが、言われた方はひとつの文に2回も「ポトス」が出てきたことに、ただキャッキャッと笑ったのである。
そしてうっとりした顔でポトスを見た。
完敗であった。それからしばらくの期間、俺は子供の笑顔を見たいがために「ポトス」のことばかり言い、その“観葉大好きベイビー”の歓心を買おうとした。
素直に子供は日々ポトスを眺め、その3文字に笑うばかりだった。
そしてふと気づいたのである。そのポトスは高齢者施設に入っている俺の母から分けてもらったもので、コロナのせいで彼女は一度も孫に会えずにいたのだった。それならせめてポトスを介して彼らに“見つめ合って”ほしいではないか。
共通の話題としての植物
小さな子供の散歩を出来るだけ多くするのは、年をとってからまた子供を持つことになった俺の重大な義務みたいなことだ。
というのも子供が20歳の頃に俺は80であり、事故や大病を避けてなんとか生き延びたとしてもあっちの世が近いのは確実で、若いうちに親をなくすことになる子供のためには今から可能な限り長い時間を共に過ごしておきたいからだ。
で、仕事の合間に時間を作っては子供を公園に連れ出すわけだが、そういう時の共通の話題として植物はバツグンにいい。





















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