Instagramが若者に与えた "格差"→「SNSを利用して稼ぐインフルエンサー」と「劣等感を煽られる大衆」に二極化する実態

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しかし、そうした悲痛な動機からInstagramコンテンツを日々消費する営みの代償として、自己肯定感喪失や精神病発症といった損失を受ける可能性が科学的に指摘されているわけだ。

そうした暇つぶしの娯楽アプリに、今日も無数の大衆がおびき寄せられ、個人情報を抜かれ続け、広告を閲覧させられ続ける。周りのユーザが日々獲得する莫大なエンゲージメントを見て嫉妬に駆られ、Follower/Followingアーキテクチャの下に劣等感を煽られ続ける。たとえ、非公開アカウントに変更しても、Instagramは、あなたのFF比率とフォロワー数を強制表示し、世界に公開し続ける。

「フォロワー数」が履歴書になり、エントリーシートになる

一方、ここ数年よく出会うのが、Instagramを拠点とするインフルエンサーである。顔や氏名を公開して、企業の「アンバサダー」となったり、商品宣伝等の「案件」をこなす学生たちだ。彼らはInstagramを明確なビジネスと捉えている。Instagramにおける行動も、常に経済合理性にフォーカスしたものだ。彼らには彼らなりのダウンサイド(潜在的損失)があるという。しかし、同時に、それをはるかに上回るアップサイド(潜在的利益)を見込めるという。

彼らがInstagramで構築したFF比率とフォロワー数という数値は、これ以上ない名刺の代わりとなり、履歴書の代わりとなり、エントリーシートの代わりとなる。その数値は、大学在学中のみならず大学卒業後も、絶大な武器になり続けるという。

いずれにせよ、Twitter/Instagramの台頭によって、いよいよソーシャルメディアの時代が到来した。フォロワー数/FF比率/like数―個人なるものが容易に可視化され、数値化されていく時代に、我々はいよいよ突入したのだ。

もちろん、その数値は、本人の存在価値や個人的魅力を客観的に示したものではない。一方で、数値なる情報は、そこに何らかの客観性があるかのような虚構を容易に生成できる。そうした虚構をいかに戦略的に利用できるか、その能力格差がリアルな人生に影響を与える時代に入っていくのだ。

年齢は成熟を意味しない。偏差値は知性を意味しない。GDPは人々の豊かさを意味しない。P/Lは経営者の有能さを意味しない。ニュースのPV数は出来事の重要性を意味しない。世にあふれる「数値」は、たいていの場合、フィクションを伴う。ホモサピエンスは「数値」になんらかの意味を勝手に加えていく生き物なのだ。その「数値」は、フィクションであると同時に、現実を塗り替える魔法なのだ。

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