「山口達也のときは会見したのに…」なぜ国分太一のコンプラ違反では“会見ナシでTOKIO解散”となったのか? ここに至る《7年前の違和感》
もちろん誠実な人柄で知られる2人のことですから、スポンサーや福島県の人々などの関係者には直接謝意を伝えるのでしょうし、某局の知人テレビマンは「一般に向けた会見を開くよりもそちらを優先させたのではないか」と推察していました。

「3人での姿」を見なくなっていた
次にふれたいのは、なぜこれほど寂しい解散に至ってしまったのか。
「城島さんと松岡さんだけで活動継続していくことは難しい」という声が散見されますが、メンバーの脱退を経て2人組になったグループはいくつかありますし、新たなメンバーを加えて再出発することもできるでしょう。
それよりも2人の人柄を考えると、「不祥事が続いたグループや会社では関係先に迷惑をかけてしまう」「『いつか不祥事を起こした国分さんや山口さんが戻ってくるかもしれない』と思わせる場所を残しておくべきではない」という理由のほうがしっくりくる感があります。
むしろ業界内では「解散の決断が遅すぎたのでは」と感じている人が少なくありません。山口さんが不祥事で脱退し、音楽活動が休止した2018年や、ボーカルの長瀬さんが脱退した2021年に解散という決断もできたでしょう。
しかし、「この3人だけでTOKIOと言えるのか」と戸惑う声もある中、彼らは株式会社TOKIOを設立して活動続行。
その後も約4年間、3人での活動を続けてきましたが、昨春には冠番組「トキタビ」(フジテレビ系)が終了し、彼らの代名詞と言える「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ系)で3人がそろうシーンが減るなど、広く一般層向けにグループ活動をしているところがなくなっていました。
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