「山口達也のときは会見したのに…」なぜ国分太一のコンプラ違反では“会見ナシでTOKIO解散”となったのか? ここに至る《7年前の違和感》
今思えば4年の間でタイミングを見計らっての発展的解散という選択肢もありえたのかもしれません。

参考にできた「他グループの幕引き」
他のグループに目を向けると、25周年の節目をやり切ってファンを喜ばせたあとに、「僕たちの気持ちは1つです」と6人の総意で解散を選んだことを伝えたV6のような幕引きはできなかったのか。
あるいは「この5人でなければ嵐ではない」という意識のもとに「ファンを思い“解散”ではなく“活動終了”」を発表した嵐のような決断も不可能ではないように見えます。
さらにメンバー脱退を機にSexy Zoneから改名し、新メンバーを加えて快進撃を続けるtimeleszのような選択もありえないとは言い切れないでしょう。
TOKIOのメンバーはSMAPの寂しい解散を目の当たりにし、今もファンたちがやるせない思いを抱え続けていることに気づかないはずがありません。
県庁に「TOKIO課」がある福島県の人々はともかく一般的には“ほぼ活動休止か活動終了”のような状態が続いていて、個人として認識していてもグループとしての印象は薄れていました。やや厳しい見方かもしれませんが、終わらせる時期を誤ったように見えてしまうのです。
結果的に寂しい解散発表になってしまったことで今後、城島さんと松岡さんがソロ活動をする際、いくらかの影を落としてしまうのではないでしょうか。
できればメディアも一般の人々も、そんな彼らに不祥事や解散について尋ねるのではなく、苦しい思いをしたうえにTOKIOという大きな看板を下ろした2人のリスタートを応援できる社会でありたいところです。
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