「山口達也のときは会見したのに…」なぜ国分太一のコンプラ違反では“会見ナシでTOKIO解散”となったのか? ここに至る《7年前の違和感》
その6日前に開いた会見で「もし待ってくれる場所・席がそこにあるなら、またTOKIOとしてやっていきたい」と甘えを見せた山口さんの目を覚まさせ、一方で本人への批判をやわらげるフォローという意味合いも感じさせただけに、「今回はそうなることをよしとしなかった」ように見えたのです。

会見が「美談」として報じられた過去
7年前の会見でもう1つ着目すべきは、松岡さんが涙ながらに「TOKIO解散」について繰り返し語っていたこと。
「甘えの根源はどこなのか。『TOKIOに戻りたい』『戻る場所がある』。甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、自分個人の意見ですけど、『そんなTOKIOは1日でも早くなくしたほうがいい』と思います」
「(グループについて)『なくしたほうがいい』とオブラートに包んで、『解散』と言えない自分がいます」
「(今後の活動について)『ああやっぱりTOKIOじゃないね』と言われたら、考えたいと思います。4人なのか、なくすのか、あらためて考えたいと思います」
あえて言葉を選ばず率直に語ろうとする松岡さんの姿は人々の心を打ち、さらに当時はテレビ、雑誌、スポーツ紙などがジャニーズ事務所に忖度していたこともあって仲間を思う美談のように報じられました。
しかし、けっきょく山口さんがTOKIOに戻ってくることはなく、4人の切実な言葉や会見を開いたことの効果がその後語られることはありません。
その心中はわからないものの、当時を踏まえて、城島さんは「被害者のことを思えば今回は会見を開かないほうがいいのではないか」、松岡さんは「会見を開くことがファン、TOKIO、国分太一のためにならないのではないか」と思ったとしても不思議ではないでしょう。
今回の解散は城島茂さんと松岡昌宏さんの2人のみで決断したようですが、メンバーの不祥事が繰り返され、長瀬さんが脱退したという経緯から「それらを防げなかった自分たちは語る資格なし」「もはや残された自分たちにできることは少ない」と感じていても驚きはないのです。
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