台湾民主化をリードしたジャーナリストたちの相次ぐ死と衝撃、台湾民主化闘士5人に共通する3つの点

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台中市の「好民文化行動協会」副理事長・林芳如は、陳婉真を追悼する。

「先輩はかつて私たちに記者としての経歴や雑誌《潮流》を創刊した動機を語ってくれました。それは真実を報道するためでした」と、故人を惜しんだ。

「彼女は後に建国党抗争により逮捕され、台中拘置所に収監されました。拘置所の食事や住環境は劣悪で、多くの人が体調を崩しました。その後、刑法第100条が改正され、国家反逆罪の死刑(『二条一』)から免れ、出所することができました」

「陳婉真は台湾独立の闘士」

陳婉真の親友・江仲驊も、彼女の闘病生活について振り返った。10年前に乳がんを患っていたが、とても強く、誰にも打ち明けなかった。一人で手術と化学療法を受け、一時的に乳がんの抑え込みに成功。だが4年前、最も悪性とされる「トリプルネガティブ乳がん」を再発し、通常であれば余命2年を超えることはないと宣告されたという。

「私は何度か彼女の手術と化学療法に付き添いました。とても苦しかったはずですが、彼女の強い外見の裏に隠され、周囲にはまったく見せませんでした。原稿を書き続け、協会の活動を支え、さまざまな行事に参加し続けていたのです。彼女は台湾独立の闘士であると同時に、がんと闘う戦士でもあったのです」

江仲驊は次のように締めくくった。

「彼女がどれほどの苦しみを抱えていたか、誰も知りません。がんに負けたくないと願い、痛みに耐えながら懸命に闘っていましたが、同情を求めることは決してありませんでした」

「彼女は『国民党が倒れず、中華民国が終わらない限り、自分が先に倒れることは絶対にない』と固く信じていたのです」

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