台湾民主化をリードしたジャーナリストたちの相次ぐ死と衝撃、台湾民主化闘士5人に共通する3つの点
ベテランジャーナリストの范立達もSNSに投稿。1988年に報道記者としてデビューした際、「520事件」と「大審(大規模裁判)」に遭遇し、大きな衝撃を受けたと語った。
「記者になったばかりの私は、何も分かっていませんでした。幼い頃から国民党体制の洗脳教育を受けていた私は、政府に反対する人々はみな反逆者、異議分子だと思い込んでいたのです」
「基本的人権は天から与えられるものではない」
「しかし、街頭で“小暴君”林正杰が激しく訴える姿を何度も目にしました。また、ブラックリストを打破するために、陳婉真が海外から勇敢にも帰国を決行。中正空港(現・桃園空港)に乗り込み、空港警察によって豚のように担がれて連れ出されるのを目撃しました。《新新聞》の創刊号で南方朔が毎週書いていたコラムを読むうちに、私の中の確信が少しずつ揺らいでいきました」

左上から陳暁林、南方朔(本名:王杏慶)、左下から顏文閂(さん)、陳婉真、林正杰(写真・今周刊作成)
范立達は、いわゆる「党外雑誌」を大量に読み、政府から「異議分子」とレッテルを貼られていた農民運動、労働運動、台湾人権団体の人々と接触していく。徐々に彼らの主張を理解し始め、なぜ彼らが闘っているのかを少しずつ把握するようになったと語った。
「ある日の深夜、私は本の山から顔を上げ、思わずこう呟きました。『私はこの政府に20年以上も騙されていたんだ……』。ようやく気づいたのです。基本的人権というのは手に入れるのがどれほど難しいかを。それを知っているがゆえに、権力者たちは自分の利益を守るため、反対する者たちを手段選ばず潰そうとする。いわゆる“理想”とは、結局のところ、人々から基本的人権を奪うためのスローガンであり道具にすぎないのだと」
「戒厳令解除後のあの時代に、林正杰、南方朔、陳婉真は、行動や文章を通じて私たちに繰り返し伝えてくれました。基本的人権とは、天から降ってくるものでも、党や国から授けられるものでもなく、人々が血と汗と涙を流して勝ち取るものなのだと」と振り返る。
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