「会計士に受かったらバラ色だと思ってた」毒親に翻弄され“資格試験沼”に10年、転職10回超の男性が《7歳差の妻》と結婚し49歳でパパになるまで

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「もともと英語が得意で、当時のTOEICで880点くらいは持っていたんです。会社の状況を鑑みて『思い切って英語力を活かせる仕事に変えてみよう』と転職することにしました」

しかし、この決断は後に「失敗だった」と剱持さんは語った。

「転職先は、プライベートジェット機の運航支援を行う会社でした。僕は事務職でしたが、来日した海外セレブの出迎えを手伝うこともありました。ジョニー・デップやニコラス・ケイジ、ハリソン・フォードなどのアテンドをしたこともあります。

面白い業務ではあるんですが、凄まじくブラックな労働環境だったんです。長時間労働が常態化していて、早朝から夜中まで拘束されるような日々が続きました。やはり限界になって、辞めることにしました」

婚活パーティーで妻と出会う

同じ頃、40代半ばに差し掛かり「結婚したい。家庭を持ちたい。親のためではなく、自分のためにしなくてはいけない」と思うようになった剱持さん。

さっそく結婚相談所に登録して何人かと会ったが、「ピン」とくる出会いはなかった。加えて、大手結婚相談所のシステマチックな雰囲気にも違和感があり、アットホームな仲人型の結婚相談所に入会し直した。

そんな折、母親に紹介された婚活パーティーに参加したところ、現在の妻と出会うことができた。

「妻の趣味の欄に『観賞魚』と書かれていたことが印象に残っています。僕も釣りをしますし、その話で盛り上がりました」

ようやく運命の相手に出会えたと思った矢先、東日本大震災が起きた。会う約束も一旦延期になったが交際は続き、2012年11月に結婚。自身は48歳の時だった。

後編『49歳で第一子、60歳で"結婚相談所"を開業した理由』では、第一子が生まれた時のこと、60歳で結婚相談所を開設した理由などに迫る。

(写真:剱持さん提供)
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宇乃 さや香 フリーライター

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Sayaka Uno

1982年北陸生まれ。大学卒業後、分譲マンション管理会社、フリーペーパー出版社、認知症対応型グループホームでの勤務を経験。妊娠・出産を経てフリーライターとして独立。生き方や価値観のアップデート、軽やかに生きるヒントを模索し、取材を続ける。

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