【あんぱん】戦争が終わる――その時たかしは。食べもの分ける異色のヒーロー『アンパンマン』原点にやなせたかし「おなかがすいた」戦争体験
「ぼくの父は東亜同文書院に学んで、卒業の時に卒業旅行をしている。それは何班かにわかれて中国各地を旅行して旅行記を書くのだが、この太平洋岸の山岳地帯を移動する行路は父の歩いた道と非常に似ているのである。そっくりではないが重なっている」
父と同じように病魔に倒れてしまうところだった
やなせの父・清は幼少期から学業に優れており、名門の高知県立第一中学校(現:県立高知追手前高校)を卒業後、上海に留学。東亜同文書院で学んだのち、日本郵船の上海支店に2年勤務した。
父もまたこの景色を見たのかもしれない――。いや、そんな感傷に浸っている場合ではない。そうすぐに現実に引き戻されたことだろう。
なにしろ、道中で襲撃されることもあり、どこからともなく弾丸が飛んできては、爆発した。襲撃を受ければ、こちらの番だ。「機関銃前へ!」という命令とともに、機関銃を持った兵隊が出ていき、反撃を行う。そうすれば、大抵の敵は逃げていくのだという。
やなせは暗号班で、指揮統制の中枢となる「聯隊本部」(れんたいほんぶ)についていた。そうした反撃に加わることもなかったが、銃剣ひとつで襲撃してくるゲリラ兵もなかにはいたらしい。
「小隊長殿しっかりしてください!」
そう叫びながらひざまずく部下の兵や、道のそばで傷口を押さえる若い将校を横目にしながら、やなせはただ前を向いて、ひたすら行軍した。心の中では、こう叫んでいたという。
「ぼくらは疲れている。戦意はまったくない。どうかじゃましないでくれ」
やがて上海の近郊の農村に着くと、やなせは高熱を出して寝込んでしまう。軽度のマラリアを患っていたのだ。
「行軍の途中でなかったのは幸運だった。うっかりすると、父とおなじ地区でおなじように病魔にたおれてしまうところだった」
病に伏せながらも思い出されたのは、やはり父のことであった。
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