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【あんぱん】戦争が終わる――その時たかしは。食べもの分ける異色のヒーロー『アンパンマン』原点にやなせたかし「おなかがすいた」戦争体験

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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前述したように、やなせの父・清が日本郵船の上海支店に2年勤務した。その後の足取りとしては、帰国して講談社に転職。編集者として雑誌づくりに携わったのちに、朝日新聞の記者となる。だが、転職した翌年に、広東特派員を命じられて、現地で単身赴任したところ、1年半後に急病で命を落とす。

やなせにとって、この戦場での日々は過酷ではあったが、亡き父をいつになく近くに感じたという意味では、また特別な体験となった。

戦地での厳しい食糧事情がアンパンマンを生んだ

病から回復したやなせを待っていたのは、厳しい食糧事情である。上海決戦に備えて、食費を切り詰めることになると、食事は薄いお粥のみとなった。

「僕は兵隊として向こうへ行き、一晩じゅう眠れなかったり、泥の中を転げまわったりと、いろいろなひどい目にあったんですが、それらは横になって寝ていれば、なんとか回復してくるんですよ。 ところが、空腹というのだけはダメなんですね。我慢できない。年をとってくると、まあそこまでではないけれど、若い時の空腹というのは、ぜんぜん我慢ができないんです。飢えるってことが一番つらいことなんだと、その時、身にしみて体験しました」

このときの思いが、自らの顔を差し出してまで空腹で困る人を救う、アンパンマンの誕生へとつながっていく。

ある朝、全員集合の命令を受けた、やなせ。感度の悪いラジオで聞かされた内容はよく理解できなかったが、大隊長から「日本は敗けた」と聞かされることとなった。

やなせはその日のうちに、軍隊の内部がすっかり変わる様を目の当たりにしている。好戦的な武闘派はたちまち影を潜めて、かわりに脚光を浴びたのが、映画監督、カメラマン、小説家、編集者、画家といった文化人たちであった。(つづく)

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アンパンマン(写真:筆者撮影)

【参考文献】
やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』(PHP研究所)
やなせたかし『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)
やなせたかし『アンパンマンの遺書』 (岩波現代文庫)
梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』 (文春文庫)
真山知幸『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)

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