テレサ・テンはなぜ「台湾人」と自分のことを言わなかったのか、中国人、台湾人とアイデンティティーで悩む台湾芸能人の胸の内

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彼女の「愛国」は、国民党とともに台湾に移ってきた「中華民国」に向けたものだ。「外省人」にとって「中華民国」はもともと台湾と中国大陸を含めた中国全体の政権だ。その「愛国」は、戦争によって故郷の中国大陸に帰ることができなくなった「外省人」に共通した望郷意識と重なる。

テレサ・テンさんは台湾でのコンサートで、語っている。

「私が(中国)大陸で歌うその日は、私たちの『三民主義』が大陸で実行されたその日です」

「三民主義」が中国で実行されたなら…

「三民主義」とは、「中華民国」の国父と呼ばれた孫文が提唱した主義である。彼女が中国で歌うことはかなわなかったが、彼女は「中華民国」が中国に戻ることを願っていたのである。そこには、日本人が知らない台湾のテレサ・テン、いや鄧麗君の物語がある。

台湾で、婚姻などによって純粋の「外省人」は少なくなり、区分が曖昧になっているが、父系社会である漢族では父親が「外省人」であれば、原則的に「外省人」と位置付けられる。正式な統計は行われていないが、各種調査で現在、人口の10%程度が「外省人」だと推測されている。

テレサ・テンさんは台湾生まれの「外省人」第2世代だが、彼女の時代は第1世代の影響を強く受けていた。世代が下った現在の台湾で、若い「外省人」たちの中国に対する思いは薄くなっているが、決して消えたわけではない。

テレサ・テンさんの時代と異なり、その後、台湾と中国との間の往来は容易になった。1990年代から経済的な関係が深まり、安い労働力を求めて台湾から大量の企業や人が中国に渡った。

さらに時代が下って中国が飛躍的に経済発展すると、台湾企業にとっての生産拠点だった中国は、巨大な市場に変わっていく。そこには、台湾と中国の新たな関わり方が生まれ、別の思いが生まれる。そして、新たな段階の政治的な紛糾に巻き込まれることになる。

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