「後期試験ではセンター試験が9割ほどないとほぼ受からないので、宮崎大学医学部を受験しましたが不合格でした。センター試験で初めて8割を超えたのは結構嬉しかったのですが、まだ合格に届かないのかとショックでした。またあと1年、同じことして同じ試験を受けるのかと思うと、とてもしんどかったです」
灘や甲陽学院出身者に囲まれた4浪目
こうして4浪に突入したIさん。この年は河合塾の一番上のクラスに入れたために、灘高等学校や甲陽学院高等学校など超進学校出身の人たちに囲まれて勉強する環境が得られたことがとても刺激的だったと語ります。
このころには、3浪から始めた復習を徹底する勉強法も確立し、全統記述模試では偏差値76でどこもA判定を取れるようになりました。
しかし、Iさん自身はセンター試験に課題を残していることがわかっていたため、この結果も「地方の医学部なら行けるかな」くらいに捉え、模試の成績が取れても慎重に考えていました。
実際にこの年のセンター試験も得点率は85%。地方の医学部で1次試験のアドバンテージがほぼない点数だったため、自分がずっと行きたいと思っていた北海道大学の医学部を受験します。
センター試験300点、2次試験450点で合計750点満点の北大の試験。しかし、1科目の数学でつまずいてしまい、結局最低合格点から30点差で不合格になりました。

前期試験の不合格はこれで5回目。悔しい結果に終わりましたが、実はこの年は初めて私立大学を2校受けていて、その中の1校に正規合格をもらっていたのです。
しかし、それでも彼の浪人生活は終わりませんでした。
「家を探しに行ったときに『4年間頑張ったのに、この田舎で6年過ごすのか』と少し思ってしまったんです。しかも卒業した後に行く地域の束縛がある学校で、進路がある程度決められてしまうのも迷いが生じる原因となりました。
それでも親に迷惑かけるのも良くないからこの大学に行こうとは考えていたのですが、父親が僕の様子を見て、『ここまで頑張ってきたけど、乗り気じゃないならもったいなくない?
北大も全然届かなかったわけじゃないし、卒業後の束縛は医者になって目標ができたときの壁になるかもしれないし、ここまできたらあと1年頑張ったほうがええんちゃう?』と背中を押してくれたんです。
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