Iさんは大阪府に生まれ育ちました。父や親戚など、親族に医者が多い家系だったそうです。
「中学生のころには自然と医師にならないといけないと考え始めました。父親に『医学部に行け』と直接言われたことはないんですが、『どうせ行くやろ』みたいな無言の圧力は感じることがありましたね。それを受けて、『(医学部に)行かなあかんのかなぁ』とは中学時代から思っていました」
幼稚園のときからKUMONで勉強をしていたこともあり、公立小学校時代は勉強ができるほうだったIさん。
小4のときには中学受験をするために難関校への合格を目指す学習塾である馬渕教室で勉強を始め、大阪星光学院を目指したものの、成績判定が振るわなかったため受験せず、高槻中学校・高等学校に合格し、そちらに進学を決めました。
しかし、中学受験で燃え尽きてしまったIさんは、中1のときに数学の塾に通い始めるも、勉強するのが嫌でやめてしまいました。
担任「この成績やったら2浪は絶対するで」
「学校に入って最初の成績は真ん中より上くらいだったのですが、気づいたら徐々に下がって、高1くらいには同級生250人中180番くらいになっていました」
高槻中学校・高等学校に通う生徒も医学部を目指す医者の子どもが多かったため、高校2年生から理系コースに進んだIさん。この年の夏くらいの進路面談で医学部に進みたいという意思を担任の先生に伝えたそうです。
しかし、担任の先生からは「この成績やったら2浪は絶対するで」という言葉が返ってきました。
「当時の僕は医学部が難しいことが全然わかっていませんでした。だからそろそろ勉強を真剣にやらないとまずいな、とそのときに思いましたね。親族の医師は全員浪人を経験していて、最大で3浪もいたので、『1〜2年浪人して頑張ればいけるところなんかな』とも思っていました」
修学旅行で行って好きになったという北海道大学の医学部を第1志望校に設定し、2年生の9月から東進衛星予備校に通い始めたIさん。しかし、受験勉強をそれまでしていなかったために成績はなかなか上がりませんでした。
2年生の1月に、この年に実施された2015年センター試験を解いたときは、数学II+Bが17点だったらしく、「これを来年9割とらないといけないのか」と絶望的な気分になったそうです。
高2の冬から高3まで、毎日空いている時間にコツコツ勉強を続けたIさん。その甲斐あって高校3年生の秋ごろには英語・数学はまだ50付近だったものの、理科の偏差値は60弱に到達します。
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