医師が断言「死に目に会えないことは不幸ではない」。最期の瞬間に立ち会うための延命治療は必要か? "旅立ち"のときに本当に大事なこととは

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

すると、娘さん2人は大きな息をつき、胸をなでおろすようにして「そうなんですね。先生のその話を聞いて肩の荷がおりました」と言ったのです。実は、娘さんたちは、介護を家政婦さんにまかせていたことを、本心では申しわけなく思っていたようです。

いつもそばにいないので、死の間際に立ち会えない可能性が高く、そのことに罪悪感を感じていて「亡くなるそのときを少しでも延ばそう」「自分たちが駆けつける可能性を高めよう」と考えていたようです。

お母さんは十分な医療と介護を受け、楽に過ごしていること、最期の瞬間をみる必要はないこと、楽に逝けることが大事であることをお伝えして、人工呼吸はしないことになりました。

最期の瞬間に立ち会うことよりも、できるだけ自然に、苦しまずに天寿をまっとうすることが大切であることを、もっとたくさんの人に知っていただきたいです。

最期の瞬間は必ずしもみていなくていい

今はどうか知りませんが、私が子どもの頃には「夜に爪を切ると親の死に目に立ち会えない(不幸で縁起が悪い)からやめておきなさい」と、祖母などの年配者から注意されたものです。

日本では「大切な人の死に目に会えないことは不幸」だと思い込んでいる人が多いように感じます。親の死に目に会えないのは、それほど不幸なことでしょうか。私はそうは思いません。逆にこの思い込みが患者さんや家族への負担になり、不幸にしているように感じています。

看取りが近くなってきた患者さんの家族から、「死に目に会えないかもしれないから、点滴をしてください」とお願いされることが少なからずあります。

それまで患者本人が希望して、家族も納得して、点滴をしないで自然にみていたにもかかわらず、仕事などでずっとそばについていることができない、事情があってずっとはみられないからと、点滴を希望されるのです。

せっかくこれまで患者さんの希望に沿ってきたのに、最期の瞬間に点滴を希望されて驚いたことは、数え切れないほどあります。もちろん、そのつど、家族と真摯(しんし)に向き合い、不安を取り除いて、納得していただければ点滴をしないまま看取りを続けることになります。

しかし、家族がどうしてもと希望された場合には点滴をする選択になります。繰り返しになりますが、看取りが近い状態での点滴は患者さんの体にとって負担になり、しんどい思いをさせてしまうことになります。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事