医師が断言「死に目に会えないことは不幸ではない」。最期の瞬間に立ち会うための延命治療は必要か? "旅立ち"のときに本当に大事なこととは
楽に逝けるためには点滴はできるだけ避けたいですし、よりよい看取りのために、「死に目に会えなくてもいい」という意識がもっと広がってほしいと願ってやみません。
「楽に過ごせていたか」「穏やかに旅立てたか」
点滴をしたからといって、最期の瞬間に必ず立ち会えるかというと、そうでもありません。亡くなるまで点滴をする病院での看取りでも、最期の瞬間に誰もそばにいなかったということは多いものです。
それまで懸命に介護を続けていて、少し目を離したときに亡くなることはあります。でも、それは「不幸」ではないと私は考えます。亡くなるときに大切なのは、その瞬間に一緒にいること、見守ることではなく、本人がそれまで穏やかに過ごせていること、楽に逝けることだと考えているからです。
そうした信念があるので、私は、看取りが近くなってきた患者さんの家族に「亡くなるときに大切なのは、その瞬間に立ち会うことではなく、患者さんが楽に逝けたかということですよ」とお伝えするようにしています。
そうすると、多くの家族が安心されます。家族も不安から何かできることはないかと考えるのでしょう。一緒に住んでいたとしてもその瞬間に立ち会えないことはあります。
もし遠方に住んでいたとしても、それまで十分に寄り添えていたら、離れたところから祈り、想うことで十分に伝わる、そう思います。
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