「ロボットなのに気を遣っちゃう」「自然とありがとうって言っちゃう」との声も…。ガスト「猫ロボット」が我々日本人に刺さる理由
例えば、とあるガストの猫ロボについてのコメントでは「ロボットってわかっているのに、なんだか気を遣っちゃうんだよな」というものがあった。どこか、猫ロボのことを人間のように扱っているのだ。
なんでも、店舗によっては「とんかつちゃん」や「ニャン吉」などと名前を付けている場合もあるらしく、そこに人格がある。また、SNSでは猫ロボのファンアートを描いている人もいるらしく、そうなるともはや「アイドル」でさえある。
そういえば、以前ガストに行ったとき、配膳してくれた猫ロボに対して自然と「ありがとうございます」と言っている自分がいた。そのときはっと気付いた。「相手はロボットなのに、なぜ私は『ありがとう』と言ったのだろう」と。
あるいは、生ビールを運んでくれるときには「こぼさないかな、大丈夫かな……」とハラハラしながら猫ロボを見守った。まるで新人店員さんを見る目だ。
それぐらい、猫ロボは人間と変わらないぐらいの存在感を持っている。
対ロボットという「適度なコミュニケーション」
しかし、いったいどうして、猫ロボはこんな人気を得ているのだろう。
一つは、私が以前から唱えている「程よいコミュニケーション」理論だ。
かつて東洋経済オンラインで書いたことがあるのだが、日本に住む人はお店のサービスなどで「能動的なコミュニケーション」が苦手なのではないか。
例えば、一時人気があったものの、大幅に日本での店舗数を減らしたサブウェイ。セルフレジのない店舗ではサンドイッチを注文するために、パンの種類や焼き方、ソースの種類や野菜の量を店員さんと話して決めなければいけない。
これが私たちにとってはどこかめんどくさく感じられてしまい、敬遠する一つの原因になったのではないか。

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