「公園で博打」「路上で麻薬の売買」「結核と赤痢が流行」大阪ドヤ街《西成》の今をルポライターが解説

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もともとは日雇い労働者向けに作られた施設で、昔は一軒一軒回って空いている部屋を探さなければならなかったが、現在では予約サイトで予約できる宿も増えた。

25年前、僕は当時500円で泊まれるドヤをいくつか根城にしていた。部屋の真ん中に板を敷き、上下に分けて泊まる形式で、上が500円、下が800円だった。まるで蜂の巣のように多くの人が泊まっていた。ほとんどの人が部屋でタバコを吸い、自炊もしていたため、もし火事が起きていたら、おびただしい数の人が焼け死んでいたと思う。

かつての西成・ドヤ街にあった宿泊施設
かつての西成・ドヤ街にあった宿泊施設(写真:OCEANS編集部)

僕はかなりの回数ドヤに泊まったが、トラブルに巻き込まれたことはない。ただ、夜中に奇声を上げる人はいるし、酔っ払いがトイレでオエオエと吐いている音も聞こえてくる。

ちなみに現在、西成のドヤの1階でこの原稿を書いているのだが、窓を開けるとゴミが大量に捨てられていて、その中には注射器もあった。何に使った注射器なのかは……想像するしかないが、まあそんな場所なので、女性が単独で泊まるのはおすすめしない。

怪しいゴミ
現在のドヤにも怪しいゴミはまだまだある(写真:OCEANS編集部)

1日いくらの日雇いで働く労働者たちが全国から集まり、ドヤに泊まりながら働く。これが僕が取材を始めた25年前の西成だった。そしてドヤに寝泊まりする労務者には酒や麻薬に溺れる人も多く、ホームレスも多かった。

かつてのドヤ街での光景

はじめて西成に来た頃、車道に裸のおじさんが倒れていたのを目にしたことがある。テロでも起きたのか?と思ったが、ただ酔っ払って寝ていただけだった。その横を、「いかにもヤクザが乗っていそうな雰囲気」の外車が走り去っていった。

西成の中心にある三角公園に行くと、ドラム缶が置かれ、その周りに人だかりができていた。「半か丁か!」と言いながら、博打が行われていた。まるで戦後を舞台にした映画のワンシーンのような光景に絶句したのを覚えている。

かつてのドヤ街
かつてのドヤ街は、映画のような光景だった(写真:OCEANS編集部)
かつてのドヤ街
(写真:OCEANS編集部)

三角公園の近くには、「なるべく歩かない方が良い通り」もあった。そこでは違法賭博が行われており、建物の前には「ハリ」と呼ばれる見張りの男が怖い顔で座っていた。

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