≪脱サラして「専業神職」になった43歳≫“知られざる業務”で得た、勤め人時代とは違う幸せと楽しみ

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矢倉沢通見取絵図
勝又さんが手に入れた矢倉沢通見取絵図(写真:筆者提供)
矢倉沢通見取絵図
「神主勝又伊勢正宅」と記されていた(写真:筆者提供)

「結婚を機に自分の家のことを調べていて、1800年頃に幕府が作成した小田原宿から三島宿間の絵図の写しを手に入れたのですが、そこに神主として勝又家が載っていたんです。神社はたくさんあるのに、神主として記載されていたのは三嶋大社を含めて3家だけだったのでびっくりしました。この日を境に神職という代々の務めを強く意識するようになりました」

基本的に神職は“儲からない職業”

実は、これまでも勝又さんはサラリーマン勤めの傍ら、地元・御殿場市の浅間神社で権禰宜(ごんねぎ)を務めていた。だが、宮司や禰宜もいるため、彼は例祭など年3回奉仕するだけで、それ以外の神職の会合や研修に顔を出すことはほとんどなかった。

自らのルーツを再認識したことで積極的に集まりに参加するようになると、ほかの神社の先輩神職たちが親身になって作法や心構えの助言をしてくれるようになり、「後継ぎがいなくて困っている神社は多い。専業神職になるつもりはないのか」と声をかけられることもあった。勝又さんが考えている以上に神社界は少子高齢化によって深刻な後継者不足に陥っていたのだ。

なぜ、これほど神職が不足しているのか。それは国学院大か皇学館大で神職過程を履修する以外は、神職の推薦を受けた者しか資格取得の研修が受けられない仕組みだからだ。神職としての品位が求められるだけでなく、反社会的勢力による神社の乗っ取りを防ぐためでもあるのだが、とくに一般家庭出身者にとってはハードルが高く、神職のなり手が増えていないのが実情だ。

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