≪脱サラして「専業神職」になった43歳≫“知られざる業務”で得た、勤め人時代とは違う幸せと楽しみ

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地域住民と登山客の安全を祈願
今年4月20日、金太郎伝説で知られる金時山の山頂にある猪鼻神社で地域住民と登山客の安全を祈願する勝又さん。悪天候のため、茶屋を間借りして行われた(写真:筆者提供)

「もともと神職になるつもりはなかったんですよ。今考えると、最初の転機は“大学受験の失敗”でしたね。合格したのは滑り止めで受験した国学院大学だけだったので」

彼の家は静岡県御殿場市で代々宮司を務めていた。しかし、最後に宮司を務めたのは高祖父・種治郎さんまでで、曾祖父は神職の資格を持っていたが早世し、祖父と父は勤め人で神職ではなかった。神職家系(社家)ではあるが、サラリーマン家庭で育った勝又さんは神職以外の道を歩もうと考えていた。

大学受験は本命の早稲田大や東京都立大は不合格。進学したのは神職資格を取得できる国学院大学文学部神道学科(現在の神道文化学部)だった。先祖が社家ということもあり、センター試験利用入試で受験できる同校を受験しただけだったが、「せっかく入学したのだから神道を真剣に学びたい」と神職過程を履修し、卒業時に「正階」という神職の階位を取得した。

「もし他の大学に進学していたら、神職の資格を取ることは一生なかったと思います」。しかし、この時点では専業神職になろうとは考えてもいなかった。

神職という代々の務めを強く意識するようになった訳

自動車好きだったため、就職活動は自動車ディーラーに絞り、2004年に東海三菱自動車販売に入社した。新人研修で「3年以内に100台売ることができれば、一人前の営業マン」と檄を飛ばされたが、入社早々に三菱自動車の再びのリコール隠しが発覚。それでも腐らずに地道な営業努力を続け、2年8カ月で100台販売を達成した。だが、そこで燃え尽きた。

数カ月の休職を経て、2008年に自宅から車で30分ほどの場所にあるウェブ広告制作会社に転職。しかし、直後に原油価格が史上最高値を更新し、通勤のガソリン代が重くのしかかった。そこで徒歩通勤できる地元の御殿場市商工会に再転職した。

「休職中も転職活動中も専業神職になろうとは考えなかったですね。商工会では地元企業を支援する仕事にやりがいを感じ、定年まで働き続けようと思っていました」

気持ちに変化が起きたのは、2016年に古本屋で古い絵図の写しを購入したことがきっかけだった。

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