蔦屋重三郎と組んだ「喜多川歌麿」が抱いた"野心" 「ライバルを超える美人画を描きたい…」想いが実を結んだ作品

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この虫の狂歌会を素材にして制作された狂歌絵本が『画本虫撰』(蔦屋刊行)です。編纂者で序文を執筆したのは、石川雅望。同書には、狂歌と、植物(草花)や虫が描かれています。

全15図の絵を描いたのが、喜多川歌麿でした。オケラやハサミムシ、毛虫、蜂、トンボ、蝶、虻、芋虫、蛍、松虫、バッタ、カマキリ、蛇、トカゲなどが華麗な色彩で描かれています。

同書は「その源流を遠く中国宋元画の草虫図に遡るだろう。とは言うものの精緻な写実の視点に立ちながら、この小さな生き物たちにキメ細かな愛情を注ぎ、微妙な抒情性を醸し出す表現様式は、我が国独自の大和絵の伝統をも兼ねそなえているとも言える」「蜘蛛の糸のようにデリケートで細緻な描線、心を酔わせる多彩で華麗な色彩術、更にキメ込み、から摺りなど、高度な版技術の粋を集めたこの『虫撰』には、古典的とでも形容したい上品な気品の芸術的香気が漂っている」(松木寛『蔦屋重三郎』講談社、2002年)と評されています。

から(空)摺りとは、版木に絵具を付けずに摺り、和紙に凹凸を付ける摺りの技法です。同書に描かれた、蛇を見ても、鱗がとても精緻に描かれています。

狂歌絵本の世界で活躍した歌麿だが

さて、美人画の世界では、鳥居清長が幅をきかせていましたが、歌麿は当初は正面から清長に挑まずに、こうした「狂歌絵本」の世界などで活躍をしていました。

喜多川歌麿といえば、現代においても「美人画」の代名詞として知られていますが、美人画以外でも、評価される作品を残しているのです。

とは言え、浮世絵の本流は、美人画と役者絵。歌麿にしても「狂歌絵本だけで終わってたまるか」という野心を抱いていたと思われます。

清長を超えるような美人画を描いてみたいという野望を常に持っていたと推測されます。もちろん、蔦屋重三郎も、歌麿の心をよく理解していたでしょう。

そうした2人の思いの結晶の1つが「当世踊子揃」(天明末〜寛政初年の制作か)ではないでしょうか。

この絵の特徴は、女性の半身・胸像が描かれていることです。半身像や胸像を描いた浮世絵版画を「大首絵」と言いますが、元来は役者絵で用いられた手法でした。歌麿はそれを「美人画」に応用したのです。

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