「マスメディアの敗北」は「ジャーナリズムの敗北」ではない 「信頼回復」と「真実追求」のための「科学と思想」
こうした会話順番の侵犯から人間関係におけるミクロな権力分析を行う研究はジャーナリズムにも応用できるだろう。取材内容を記録し、丁寧に聞き直せば、取材中に行使されていた力関係が見えてくる。この話題は本当に本心から語られたものなのか、力を使って語らされていなかったか等の分析が可能となり、インタビューからより多くの収穫を得られる。
こうしてアカデミズムが積み上げてきた知見を動員することでジャーナリズムはもっと強くなれるのに、なぜそうしないのか。その時に感じた不足感が、巡り巡って、「アカデミック・ジャーナリズム」を提唱することにつながっている。
見落とされていたジャーナリズムの「本質」
『アステイオン』がアカデミック・ジャーナリズムを特集するのは2回目だ。今回は新機軸として「ジャーナリズムの科学と思想」に焦点を当てた。背景にジャーナリズムの現状への危機感があった。
たとえば昨年の兵庫県知事選では、投票に際して最も影響を受けたメディアが「SNSや動画サイト」だったとする出口調査の結果を踏まえて、「マスメディアの敗北」を指摘する記事や論考が多く書かれた。
しかし、新旧メディアの影響力の多寡は論じられても、「ジャーナリズム」を視野に入れた議論は殆ど見かけなかった。
マスメディアの敗北=ジャーナリズムの敗北と直結させて考えている人もいるのだろうが、その等号は実は成り立たない。マスメディアは伝達の回路であり、ジャーナリズムは真実性や公共性を強く求める特殊な伝達方法である。
そうしたジャーナリズム理解の下に、「負けた」マスメディアはジャーナリズムとして機能していたのか等の議論がなされなかったのは、ジャーナリズムの存在感が希薄となっていることの表れだろう。
だからこそジャーナリズムの特性を改めて確認する必要がある。そのためにジャーナリズムを成立させている「思想」と「科学」を議論の対象にしたいと考えた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら