「タワマン住みの"新住民"は町内会に入らない。でも、祭りには来る」…。タワマンの聖地・武蔵小杉、激変した街に"旧住民たち"が語ること

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前出の店のご主人が、この地域でマンション(タワマンではない)のオーナーをやっている人物を紹介してくれた。「低層の小さなマンション(本人談)」のオーナーさんには、街の路地で立ち話のようなかっこうで話を聞いた。通りの向こうからひょいっと現れたその人は、いかにも旧住民の雰囲気だ。気取らない普段着がしっくりと身についている。

「うちは、タワマンが立ち並ぶずっと前に建てたマンションなんですよ。もともとここに代々の自宅があって、その場所に建てたんだ。小さいマンションでね、なんと言ったらいいのかな、地元密着型ですよ。だからってこともないけど、うちのマンションに住んでる人は町内会に入ってもらっていた」

オーナーさんはそんなふうに語る。

「タワマンのおかげで人口は増えているし、人気の街になってはいるけど、固定資産税が上がってさぁ。その支払いも大変ですよ」

なるほど、旧住民にはそんな悩みもあるのかと同情しかけたが、地価の上昇が税を押し上げただけだ。同情なんかしてたまるかと気持ちを引き締めた。

最後の町内会長「こっちとあっちじゃまったく別の環境」

3丁目の街を2つに割るように走る府中街道沿いに「有限会社赤城屋(川崎市中原区小杉町3-26)」はある。工業用のノコギリの研磨を請け負う町工場だ。

かつてはこうした家族経営の工場が地域のいたるところにあったらしい。2代目社長の五十嵐俊男さん(82)は、現在は会長職に退いている。この方が、小杉3丁目町会の最後の町内会長だ。

「このあたりは、昔は大小たくさんの工場があって、工員たちの社宅もそこかしこにあった。小杉神社のお祭りや夏場の盆踊りなんかも盛大だったね。清掃活動とか年末の見回りなんかで町会の仕事も忙しかった。お祭りのときには各町内会からみこしを出した。

でも、今年の3月で3丁目町内会は解散しました。みこしもいらなくなったから300万円かけて修復してから、別の町内会に寄付しましたよ」

五十嵐俊男さん
小杉3丁目町内会の元会長 五十嵐俊男さん(筆者撮影)

戦争中は群馬県の赤城山が見える場所に疎開していた五十嵐一家は、戦後にこの地に越してきて工場を開いた。屋号の赤城屋には疎開先への思いが込められている。

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