けっして"年寄りの与太話"なんかではない! エッセイストが教える「自分史」のスゴイ効能3つ
そのときは「普通」でも、後からではなかなか知り得ない、体験者ならではの情報が詰まっている。その点で、貴重な資料といえるのです。
その文章が、子から孫へと長く読み継がれていくならば、今述べた資料的な価値と、そこから導き出せる指針の価値は、高まるでしょう。
人生を「ありのまま」に振り返って書けばOK
とはいえ、「今後の資料的価値が上がるようなことを書こう」などと考える必要はありません。あなた自身はあくまでも、人生をありのままに振り返って書けばOK。自分では「当たり前すぎてつまらない」と思い込んでいることに対して、読み手が価値を見いだすものだからです。
今述べたこととは、少し違った意味での価値もあります。つい先ほど挙げた例は、「読み手は未体験、書き手のあなただけが体験した内容」に相当します。その一方で、「読み手も書き手も体験しているけれど、資料・教訓としての価値がある」内容も存在します。
コロナ禍で体験したことを思い出してみてください。
「緊急事態宣言、まん延防止等重点措置って結局、何回出たのだっけ?いつからいつまでだっけ?」
「学校が休みなのは、どのときだっけ? 会社はいつからリモートが始まったのだったっけ?」
「マスク不足で、ひと箱5千円とかのときがあったな。いつ頃から余りぎみになったんだっけ?」
早くも記憶が不確かになっていることでしょう。人間は忘れやすい生き物です。そのときは「普通のこと」でも書いておけば、後になって思い出せない自分や、次の世代の人にとって何らかの「ため」になります。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら