けっして"年寄りの与太話"なんかではない! エッセイストが教える「自分史」のスゴイ効能3つ

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そこには、「戦争に行ったときの話」「戦争で見た光景を思い出すと飲まずにはいられなかったこと」「所属部隊で当たり前だった暴力的な言動が身に染み付き、戦後もそのことで苦しんでいたこと」などが綴られていて、それらの内容から、「本人もつらかったのだろう」とようやく理解できたと語っていました。

この知人の場合は、残念ながら父親が亡くなってからノートを読んでいます。書いた本人が生きているうちに家族に見せていれば、親子関係を補完して、ともに過ごす時間を持てたことでしょう。

エンディングノートの役割も果たせる「自分のことを書いた文章」は、書き終えたら家族に読んでもらうことをぜひ考えてみてください。

一般的なエンディングノートの主要項目は、家・土地などの不動産、銀行預金・保険などのお金に関すること、さまざまな会員情報など。あえていえば"事務的な情報の伝達"を担うものになっています。

それらがとても大事な、必要項目であることに疑いはありません。加えて、そうした事務的な情報ではない内容も伝えられれば、後に悔いを残さない、満足のいく時間を過ごせることにつながります。

人生そのものに「資料的価値」が生まれる

もう1つ、あなたが自分のことを書き上げると、その文章には「資料的な価値」が生まれます。

例えば、自動車関連の会社に長年勤めた人が、仕事で頑張った内容として「日米自動車摩擦の最中に成し遂げたこと」を書く。金融業界に長く身を置いてきた人が「バブル時代の"ど真ん中"で経験したこと」を書く。団塊世代や団塊ジュニア世代の人が、「受験戦争の中で続けた努力」を書く──。

その世代、あるいはその業界で働いてきた人には「普通のこと」であったでしょう。「普通のこと」はリアルタイムのマスメディアにおいては、文字になりにくいのです。

例えば前回のパンデミックである、「大正時代のスペイン風邪」のときに、マスクをどうしていたか、出勤をどうしていたか、風邪以外の不調で医療機関にかかりたいときはどうだったか、などは調べるのが大変でした。文学作品に、断片的に出てくるのを拾うしかありませんでした。

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