けっして"年寄りの与太話"なんかではない! エッセイストが教える「自分史」のスゴイ効能3つ

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こんなふうに、なかなか言い出せなかった出来事を文字にすることで、時を経てようやく理解し合える可能性が出てきます。「和解」、あるいは綻びかけた絆の結び直し、といえるでしょうか。

人生でやり残したことが、家族との「人間関係の補完」であるなら、ぜひ書くことで実現してください。

「エンディングノート」としての側面も

人は誰でも老いていき、年齢を重ねるほど弱っていきます。例えば、あなたが50代や60代なら、昔と比べてさすがに弱っている親の姿を見たことがあるでしょう。そして、親との間に残された時間を、うっすらと想像したことは少なくないと思います。

一方、あなたが70代や80代なら、自らの寿命について真剣に考え、いわゆる生前整理を始めている方もいらっしゃるかもしれません。

昔からよく耳にするのは、親が亡くなってから、「もっとこうしておけばよかった」という後悔している子どもの声です。また、亡くなる前であっても、「親子でしておきたいこと」をするには時間も体力もないという話がよくあります。

そして、その親子でしておきたいことの代表例を挙げるなら、「もっと話して、もっとお互いの気持ちや事情を共有して、もっと理解し合いたかった」。まさに相互理解や感謝の伝達、親子関係の補完です。

その点で、ありのままの自分の歴史と気持ちを書いておくことは、親子でしておきたいことを双方が元気なうちからスタートできる有効な手段の1つであり、「エンディングノート」のような役割を果たすこともできるといえます。

私は年上の知人から、こんな話を聞いたことがあります。その方が幼かった頃、父親は家でかなりの量のお酒を飲むことがあり、ときには暴言も吐いていたそうです。

普段はいたって普通のお父さん。それだけに、「なぜたまに荒れてしまうのか」がずっと理解できず、本人に聞くこともできないまま大人になり、ついに父親が亡くなって、悔いが残っていたとのことでした。

やっと理解に至ったのは、父親の持ち物の中から見つかった昔のノートを読んで、です。

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