けっして"年寄りの与太話"なんかではない! エッセイストが教える「自分史」のスゴイ効能3つ
先日観た時代物映画の中に、そんな記憶の漏れやずれを象徴するシーンがありました。主人公の子どもが、「私は親に抱っこされたことがない」などと、親に対する長年の不満を吐露するシーンです。
その不満のセリフが音声として流れている中で、映像では昔の親子の場面が一瞬入り、そこでは親が子どもを抱っこしながらあやしている──。つまり、子どもは覚えていないのです。
同じようなことは、どんな家族にも起こりえます。親にとっては大事な出来事やエピソードであっても、子どもが幼すぎて覚えていない。自分の成長のストーリーからこぼれ落ちている。覚えていたとしても、時期を勘違いしているなど、記憶の漏れやずれがあることは決して珍しくありません。
逆に親のほうが覚えていなかったり、勘違いをしていたりする場合も、もちろんあるはずです。
知らなかった「あの頃」の本当の姿
しかし、こうした大事な記憶の漏れやずれを今からすり合わせるのは、かなり困難です。今さらそんな話を持ち出すのはためらわれるでしょうし、さりとて待っていてもチャンスはなかなか訪れません。それを補えるのが、自分のことを書いた文章です。
家族にとっての「あの頃」のあなたの、本当の姿を知ることのできる文章は、家族が読めばきっと胸に響きます。
同時に、読み手の頭の中では、当時の家族の間で起きた出来事の数々がフラッシュバックして、記憶からもれていたエピソードが蘇るでしょう。
たとえ思い出せなくても、「そういうことがあったのか」と認識します。記憶のずれも調整されていくでしょうし、読み手である家族が当時抱いていた気持ちも思い出されるでしょう。
文章を読んだ家族は、このように考えるのではないでしょうか。
「あの頃、自分は○○と思っていたけど、これを書いた親(または配偶者・子ども・兄弟姉妹)には、実はそんな状況があったのか。言ってくれればよかった……。でも、口に出すことができなかったのも、今ならば理解できる。親は親なりに、あれが精一杯だったのだ。許せる面も、許せないけれど仕方ないと思える面もある」
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