「7月に日本で大災害が起こる」「想定をはるかに超える壊滅的な…」――ネット上を騒がせる"大災難予言"が嘘とも言い切れない理由

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要するに、災厄の禍の面だけではなく福の面にもスポットを当てた理解の仕方であり、それは神意によって巻き起こる自分たちにはコントロールできない破壊的な事象を、まるで社会変革のための必要悪であるかのような物語として受容することをも意味した。

これは、関東大震災の際に流行した「天譴(てんけん)」という言葉にも当てはまる。

天の怒り、天罰が人間社会に下るという思想だが、評論家の松山巖(いわお)は、「天譴の観念が持ち出されることによって、天災は人間にとって有意味な、しかも積極的な方向に有意味な事実となる」という社会学者の清水幾太郎の言葉を引き、「要するに、天譴という観念を語ることで、震災が生み出したどのような悲惨もバランスがとれてしまう」とその核心を突いている(『うわさの遠近法』講談社学術文庫)。

『私が見た未来 完全版』では、天譴色はほとんどないが、壊滅的な被害の後に「ものすごく輝かしい未来」が約束されているとし、「みんなが助け合い、協力し合って、あらゆるものごとがプラスの方向に進んでいく世界」と断言していることは、まさにこれが「世直り」であること明確に示しているといえるだろう。

つまり、誰が予知をするかは本質的な問題ではない(予知夢はある意味で超越的な何かからの警告のメッセージとも受け取れるが)。災害の予言とは、生き残った者たちを祝福するかのような「世直り」とセットになっているのだ。そこには、解放や高揚、互恵的なコミュニケーションに満ちた時空が永続することへの切なる願いがある。

災害という非常事態が人々の意識を目覚めさる

もう一つは、災害学における被災者の意識の変容に基づくものである。歴史家のレベッカ・ソルニットは、災害という非常事態が人々の意識を目覚めさせ、倦怠や無意味な感覚がつきまとう安全と快適さが保障された日常では得られない目的意識や活力をもたらす側面に強い興味を示した。

そして、それを「コミュニティや信仰としての宗教ではなく、一時的なものではない解放を成し遂げるために、直面する状況にもっと上手く適合でき、優雅で寛大な反応ができるようになる。そんな変化を自身に起こす術としての宗教」と評した(『【定本】災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』高月園子訳、亜紀書房)。

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