43年ぶりに復刻、世界で唯一の「原爆きり絵」絵本。著作権継承者が見つからず苦戦、手がかりは《YouTube》にあった

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2025年1月、そのOGと連絡を取ることができた。動画の制作にあたっては、著作権継承者本人ではなく、著者の親族で『原爆ヒロシマ』を広めることを委託されていた人から許諾を得たという。

著作権継承者については、動画制作に協力した大学関係者が知っているということで紹介してもらい、ようやく糸口を手にした。

『きり絵画集 原爆ヒロシマ』
(画像:『きり絵画文集 原爆ヒロシマ』より)

2月、大学関係者らとともに、東京都内に住む著者の遺族宅を訪問した。『原爆ヒロシマ』の復刊企画を切り出したところ、「皆様の熱い評価に感謝しております。できる限り協力致します」と快諾。著作権継承者を突き止める半年間の作業が終わった。

【画像】原爆投下後、炎に包まれ逃げ惑う人々、あまりの悲惨さに絶望する人々などを切り絵で表現した(11枚)
きり絵画文集 原爆 ヒロシマ
『きり絵画文集 原爆 ヒロシマ』(潮書房光人新社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

「原爆の記憶」を後世へ

ウクライナ戦争を巡り核戦争へのエスカレートが世界的に懸念される中、2024年のノーベル平和賞に、被爆者の立場から核兵器の廃絶を訴えてきた日本被団協が決まった。そんな中で復刊される原爆絵本の名作。

絵本に込められた「原爆の記憶」は、原爆投下から80年以降も確実に次世代に引き継がれる。

『きり絵画集 原爆ヒロシマ』
(画像:『きり絵画文集 原爆ヒロシマ』より)
【著者略歴】寺尾 知文(てらお・ともふみ)
1917年(大正6年)12月、兵庫県に生まれる。
1931年(昭和6年)、京都にて染色業に従事、友禅型紙製作できり絵を習得。夜間中学中退。1939年(昭和14年)、応召、姫路第39連隊に入隊、輜重兵として中支の水上輸卒隊に派遣、その後、船舶兵となり暁部隊に編入。3年2カ月間、中国大陸を転戦後の1942年(昭和17年)9月、召集解除、帰国。
1945年(昭和20年)5月、再召集され和歌山の暁部隊に配属。陸軍伍長。その後、広島に移動、6月21日に広島市鯛尾の暁部隊整備教育隊に配属。8月6日の原爆投下直後、救援のため広島市中心部に入り、自らも被爆した。
1979年(昭和54年)9月、現代創像美術展特選受賞。同年、ノルウェー切手国際展にて漫画『スタンプくん』が資料部門で銀賞受賞。現代創像美術協会運営委員、日本漫画家協会会員。2000年(平成12年)7月27日に死去。
花房 壮 産経新聞出版企画部長

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はなふさ つよし / Tsuyoshi Hanafusa

1973年生まれ。96年に産経新聞社に入社。複数の地方支局のほか、社会部で警視庁担当などを経て、2018年から文化部次長(学芸分野)。24年から産経新聞出版企画部長。好きな読書ジャンルは戦史。出張の際は地元書店のほか古書店を可能な限り訪問し、レア本の発掘を堪能している。書籍にまつわる裏話や秘話の発掘にも力を入れている。

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