「サムスンらしさを失った」「一度死ぬ覚悟で」と役員に迫った李在鎔会長が抱える危機感とは何か
李在鎔会長の父である李健煕、祖父である李秉喆(イ・ビョンチョル、1910〜1987年)の両氏は生前、時代が変わるたびに危機感を強調して自社に革新を注文してきた。経営の節目節目で役員・社員に強力なメッセージを投げかけ、サムスンの成長と変化を導く原動力となった。
李在鎔会長が「死に物狂いの覚悟で危機に対処すべき」と今回発言したのも、そういった歴史的背景がある。
歴代会長が続ける「危機経営」
例えば李秉喆氏は1983年2月8日、東京でサムスンが半導体事業に進出することを明らかにした際、「東京宣言」として知られているメッセージを出した。「半導体は未来産業の米であり、今こそサムスンが半導体に進出しなければサムスンの未来はない」と述べた。
その理由として「韓国の未来」を挙げ、国家経済の発展を半導体事業の究極の目標と訴えた。
李秉喆氏の「技術中心の経営」を受け継いだ李健煕氏は1993年、ドイツ・フランクフルトで開かれたサムスン電子の役員会議で「妻と子ども以外はすべて変えよう」と発言し、韓国社会に大きな衝撃を与えた。
当時のサムスンは日本企業との技術格差や製品競争力の未熟といった問題を抱えていたが、李会長は「不良品は会社のがんだ」といった直球の発言で組織文化や人事システム、品質をはじめサムスン全体に改革が必要であることを訴えた。
これによりサムスンは「品質経営」を強化し、グローバル企業として飛躍するきっかけをつかんだが、2010年に李健煕氏は「10年以内にサムスン電子がつぶれるかもしれない」と再び警告した。IT産業を取り巻く環境が急変する中、新たな成長エンジンをサムスンが見つけなければつぶれると警告したものだった。これにより新事業の発掘と技術革新の重要性を改めて強調した。
政治スキャンダルに巻き込まれ、自身も獄中で過ごしたことがある李会長は、2016年以降、継続して危機を訴えていた。2016年には「サムスン電子は過去のサムスン電子ではない。新しい成長エンジンを探さなければならない」と述べている。
2019年に日本政府が半導体部品に対する輸出規制を行ったときは、「われわれが進むべき道は遠く、時間がない」と述べ、主要部品の国産化と技術独立の必要性を強調した。新型コロナウイルス感染症が広まった2020年には「今は真の危機だ」として、グローバルサプライチェーンをどう確保するかという問題を抱えながらも、新事業の発掘と未来への備えを訴えている。
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