全国の電化ローカル線を走った「旧型国電」の記憶 飯田線「流電」から最後の現役、本山支線まで
そして、さまざまな新性能電車に移り変わる前の旧型国電時代の集大成といえるのが、1950年に登場した80系であろう。それまで中長距離列車に使われてきた客車列車に代わる電車として東海道本線に登場し、ミカン色と緑のツートンカラーで「湘南電車」として親しまれた。日本の鉄道史に残る傑作車両である。

前面のモダンな2枚窓のデザインも相まって乗客や鉄道ファンにも好評で、前面2枚窓のデザインは「湘南形」として全国の鉄道がこぞって取り入れ、ローカル私鉄の気動車にまで採用された。筆者が初めて80系電車を見たのは1961年の15歳のとき、米原駅であった。この時代の電気機関車EF58形の前面形状と80系は相通ずるものがあり、両車とも撮影に夢中になった。

今は見られぬ元祖「湘南顔」
高度成長期の時代の流れは速く、1960年代には新性能電車の111系や113系によって東海道本線などの主力の座は下りたものの、その後も各地で活躍を続けた。だが1970年代後半から次第に姿を消し、筆者が好んで撮影した長編成の本線上走行も見られなくなり豪快な釣り掛けモーター音を聞く機会も減った。そしてついに1983年、飯田線からの引退を最後に営業運転を終了して、1984年には形式消滅した。

80系はその後の日本の電車の発展に大きく寄与した画期的車両であったと思う。にもかかわらず、保存されているのは京都鉄道博物館にある前面3枚窓の初期型先頭車のみで、あの優美な「湘南形」の前面2枚窓の車両が保存されていないのは本当に残念なことである。

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