全国の電化ローカル線を走った「旧型国電」の記憶 飯田線「流電」から最後の現役、本山支線まで
仙台と石巻を結ぶ「最北の国電」である仙石線にも72系などが転入した。山手線と同じうぐいす色に塗装変更されたが、旧国といえばチョコレート色(ぶどう色2号)の重厚さで親しまれていただけに不似合いな感じがあり、103系のような前面のクモハ73形やクハ79形900番台は旧国ファンには不評だった。

21世紀まで現役「最後の旧国」クモハ42
一方、本州の南に目を転じると、21世紀まで旧国が残った路線として知られる小野田線の本山支線がある。2002年の2月、筆者が初めてデジタルカメラとフィルムカメラの二刀流で撮影に行った路線でもある。
本山支線は朝夕のみの運転で、冬場の撮影でもあり難儀したが、それでもデジタルカメラの高感度にはずいぶん救われたものだ。

小野田線を走った電車は戦前生まれのクモハ42形で、堂々たる2扉・20mのセミクロスシート車だった。当初は京阪神地区に投入され、戦後に関東に転じて横須賀線や伊東線で活躍、その後宇部線・小野田線に転じたものだった。「ぶどう色2号」が夕日に映えて美しい車体を輝かせ、デジタルカメラにはより美しく写った。
本山支線のクモハ42形は、鶴見線の大川支線を走っていたクモハ12形(1996年3月引退)ともにJR化後も生き残った旧国として知られ、晩年は多くの鉄道ファンが訪れた。惜しくも2003年3月14日をもって現役を引退し、「最後の旧国」が姿を消した。

無料会員登録はこちら
ログインはこちら