全国の電化ローカル線を走った「旧型国電」の記憶 飯田線「流電」から最後の現役、本山支線まで
国鉄時代、新型の電車はまず首都圏に集中的に投入され、新車によって追い出された電車が各地の路線に配属されるという形で車両の置き換えが行われていた。新性能電車の投入が進むと、旧型国電は次々と地方の電化区間や、都市部でも利用者の少ない線に回された。
たとえば首都圏の電化ローカル線である青梅線や御殿場線などには、かつて中央線や山手線、京浜東北線で「ゲタ電」として親しまれていた旧型国電が走っていた。ゲタ電とは履物の「下駄」に由来する呼び名で、日常の足として使える電車であることからこう呼ばれた。

筆者が上京した1960年代半ばには、山手線はすでに101系や103系に代わっており、旧国の特徴でもあった重々しいうなりの釣り掛け駆動の音は都心では聞いていないが、これらのローカル線区に転じた旧国には接することができた。
青梅線や御殿場線を走った「旧国」
首都圏で最後の「旧国の牙城」は青梅線であった。主力は戦後生まれの20m4扉の通勤用72系電車だったが、朝夕の多客時間帯には増結用車両として、戦前生まれのクモハ40形も投入されていた。立川寄りに連結されることが多く、リベットの目立つ姿は「奥多摩の古豪」といった雰囲気だった。青梅線から旧国が引退したのは1978年春のダイヤ改正だった。


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