高層部の住戸は、東と西におのおの開けたバルコニーがある。眺望がよく、開口部が広いため、光も風も通りやすい。
大変な構造で、コストもかかる
日照が確保され高密度化が実現した逆Y字の住棟。ただしコストはほかの住棟よりも2割ほど多くかかっている。そのため河原町団地の逆Y字の住棟は3棟のみにとどまった。
「構造が大変で設備にもコストがかかる。ほかでやろうとする人はいなかったです」と河野さん。逆Y字の試みは普及せず、唯一この団地だけに存在するのだ。
大谷幸夫さんが生み出した空間をもっと味わいたい。そう思った筆者は大谷さんの代表作、国立京都国際会館の見学会に参加した。会館では定期的にオープンデーや見学会が開催され、建物の一部を見学することができる。

国立京都国際会館は、1966年に世界で3番目の国際会議専用の施設として建てられた。自然環境への応答を意識した設計で、周囲の山々に合わせて外壁は斜めになり、室内は台形と逆台形で構成されている。
ロビーやラウンジにも自然の要素を取り入れ、緑のじゅうたんは苔むした台地を、柱や壁面は岩石を力強く表現している。

そんな国立京都国際会館に、大谷幸夫さんの薫陶を受けた人がいる。
施設部の石川勝典さんは、大学卒業の1989年から大谷研究室に勤務し、解散を迎えるまでの30年ほどの間、大谷さんの近くで働いた。研究室時代には、国立京都国際会館の耐震改修や別館のアネックスホールの設計などに携わり、現在は国立京都国際会館の施設部の建築担当として会館の維持保全に取り組んでいる。
筆者は、斜めの壁や柱が織りなす空間を堪能しながら、逆Y字住棟との関連を想像した。両者に共通項はあるのだろうか。
「大谷先生は、自分が建築を設計する意義とか社会やその地域の人々に伝えたいことがあるときにだけ設計をする方で、つねに周りの環境に即した建物を心がけておられました。
河原町団地は都市の住宅であり人々の生活の場として求められた建物で、国立京都国際会館とは前提として設計の趣旨がまず違うんですよね。
河原町につながるのは麹町計画で、個人の住宅も大切にしながら集合住宅を作るという趣旨のもと、日照と換気を取る立体的な建物を実現しました。先生は晩年まで麹町計画のことを口にされていて、思い入れのある計画だったと思います」(石川さん)
人が暮らすための住宅と、国賓を迎える国際会議場。目的や前提は違うが、大谷さんは空間や広場に対する意識をつねに持っていたことがわかる。
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