――2004年に日本愛妻家協会が発足した経緯を教えて下さい。

日本愛妻家協会は、クリエイターで事務局長でもある山名清隆が立ち上げました。40代で再婚した彼は、前の結婚の反省を踏まえて、仕事よりも妻との時間を最優先することを決意。妻と2人で幸せな暮らし方について話し合うなかで、愛妻家という生き方を宣言してみることにしたのです。
嬬恋村に地縁がある山名は、苦しい時期を支えてくれた村に恩返しもしたいと思ってクリエイター魂を発揮。この村を愛妻家の聖地にする活動を始めました。日本愛妻家協会の始まりです。
――妻に恋する嬬恋村。単なる偶然ではなさそうですね。
はい。諸説あるのですが、日本書紀によると、群馬県吾妻郡嬬恋村は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が愛妻家宣言をした場所です。今から約1900年前、弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥さんの訃報を旅先で聞いたタケルさん。人目もはばからず「吾が妻恋し…」と大きな声で叫んだとされています。そんな流れで、日本愛妻家協会は愛妻家の祖としてタケルさんに名誉会長をお願いしています(笑)。
徐々に参加者が増加
――な、なるほど……。キャベチューは2006年から毎年開催しているそうですね。

第1回は叫びたい人がほとんど集まらなかったそうです。でも、取材陣だけは集まったので、遅れてやって来た新聞記者さんに「みんな叫び終わったところだよ。次は君の番」と投げかけたところ、恋人がいない独身の彼は「未来の妻」への愛を叫ぶことに。その様子に好意を持ってくれた他社の女性記者にアプローチした、という心温まるエピソードが残っています。
嬬恋村がキャベツの名産地であることもアピールしたいので、キャベチューは収穫期である9月開催です。海外メディアに取り上げられたこともあって徐々に参加者が増加。近年は叫ぶ人、その家族、観客、メディアなどを含めると80名から100名ぐらいが集まります。
キャベツ農家にとって1年で最も忙しい時期に観光客やメディアが押し掛けることになります。地域の理解を得られないこともありましたが、嬬恋村行政が「交流人口を増やすことが重要なのだ」と頑張って現在まで続いています。地元の土木業者さんが「農作業の邪魔にならないように」と廃材を使って「叫び台」を作ってくれたりもしました。その後、行政が「愛妻の丘」としてさらに整備。現在は観光スポットになっており、年間を通じて観光客が訪れて愛を叫んだりしています。
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